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zoom RSS テーマ「中国語」のブログ記事

みんなの「中国語」ブログ


「日本」なる国号について

2009/03/21 01:35
 私は本ブログやホームページの記事において、日本語の数字の数え方が、中国語(厳密には古代中国語)のそれを採用したものであることを何度も指摘してきたが(専門家に言わせれば「今更何を」という問題であるかもしれないが、現在日本人でこれを認識している人は決して多くはない)、今回は数字の数え方だけでなく、国号も中国語であること、正確には国号も漢式に発音していることを指摘したい。

 漢式に発音すると言うことは、訓読みではなく音読みしていると言うことであり、音読みとは言うまでなく古代中国語の漢字発音に基づいているのである。

 日本人は「日本」を「ニッポン」もしくは「ニホン」と読み、ごくまれに「ひのもと」などと訓読みしているが、これは決して正式な読み方ではない。
 「ニッポン」が本来の発音であり、「ニホン」はその「なまった」方だと思うのだが、なぜ「ニホン」との発音が定着したかという問題については、ウィキペディアの記事が正鵠を得ていると思うのでリンクしておく。

 何にしろ、我々日本人は、その点、韓国朝鮮人、ベトナム人もそうだが、国号さえ、漢式発音で読むくらい、中国文化の影響を受けているのである。
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「支那」呼称問題:サーチナの記事はレベルが低すぎる

2009/03/20 17:38
 Yahoo!ニュースの中国トピックスには、中国関連ニュースの配信元として、「レコードチャイナ」とともに、サーチナの記事がよく載り、筆者もよく参考にさせてもらっている。

 ところで、本日サーチナ配信の記事として、「編集担当:鈴木秀明」という『日中勘違い:「支那」という言葉について考える(1)』を見たが、この記事の編集責任という鈴木秀明のレベルの低さには呆れてしまった。

 言うところ、日本人が使う「支那」「シナ」というのは、元々は始皇帝の「秦」を起源としており、英語のChainaと同源と主張し、「支那」を禁止するなら、「チャイナ」も禁止してもらわないと、理屈が合わない。などとわめき立てるのである。

 しかし、元々、差別語でも何でもなかった「支那」を差別語にしてしまったのは、日本側の責任ではなかったのか。鈴木も指摘するとおり、辛亥革命後、中華民国政府から「正式国名を使ってほしい。せめて“中国”と呼んでほしい」などと要請があったが、日本は無視して、「支那」との呼称を使い続けたのが、中国人が「支那」あるいは「シナ」に反発するようになった原因ではないのか。

 実際、Yahoo!ニュースのコメント欄などで、今時、わざわざ中国のことを「シナ」などと呼んでいるのは、非常に差別的な悪意を持った文脈においてである(やはり、例の石原慎太郎が典型であろう)。

 確かに、英語のチャイナなどと(日本語の)シナとは同源かもしれない。しかし、そこには漢字文化圏か欧米のような非漢字文化圏かという差がある。
 上の記事に付けられた「面白い」コメントに「漢字文化圏には自分たちを『中国』と言わせるChinaの傲慢さ。」というものがあったが、それなら「漢字文化圏には自分たちを『日本』と言わせるのは、Japanの傲慢さ。」なのであろうか。
 別に、漢字文化圏では、漢字の発音こそ違え、中国:「リーベン」、韓国朝鮮:「イルボン」と、別に我々が言わせなくても、我々のことを「日本」と呼んでいるし、韓国朝鮮は「チュングク」(中国)と称し、中国は「ハングォ」(韓国)、「チャオシェン」(朝鮮)と呼称している。

 しかし、一部の日本人だけが「支那」(シナ)との呼称を使うわけであり、これは一部の中国人・韓国朝鮮人が、我々のことを「倭」と呼ぶのと、同じレベルのことである。「倭」と呼ばれることを、差別的と感じるなら、我々も「支那」(シナ)などの呼称を使うべきではない。

 さもないと、『古事記』などでも、ヤマトタケルノミコトのことを「倭建命」と書いている。「倭」は差別語でも何でもないと「反論」されても、文句は言えないであろう。

 なお、上記Yahoo!ニュースの記事は、時間がたてば削除されてしまうので、上記サーチナの元記事のリンクを張っておく。
 『日中勘違い:「支那」という言葉について考える(1)
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恭賀新嬉

2009/01/26 00:02
 新年明けましておめでとうございます。今年の新暦1月26日は、旧暦の正月1日(春節)です。
 しかし、日本もせめて春節を国民の祝日として休みにすれば、今年などは三連休になったのにと思う筆者でした。
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中国語の零(ゼロ)について

2009/01/19 00:15
中国語の数の数え方・続」について
 以前、日本語の数の数え方は、基本的には中国語のそれを採用したものだが、現代中国語と日本語の数の数え方の最大の違いとして、中国語では零(ゼロ)を頻繁に用いることを挙げた。

 例えば、「301」は現代中国語では、「三百零一」と読み、日本語のように「三百一」とは読まない。もし、現代中国語で「三百一」と言えば、それは「310」の意味になる。

 「ゼロ」という概念、正確にはそれを数字で表記することが発明されたのはインドであり、中国語で「零」が採用されたのも、比較的後世のことだろうと思ったのだが、中国人の語学講師に聞いても、「昔からそう言っている」と要領を得ない。
 そこで色々調べてみると、北宋年間に編纂された『新唐書』(1060年)は 3201 および 0 を「三千二百一」、「空」と記している。というが、南宋年間に書かれた、『測圓海鏡』(1248年)の中で 1024 を「一千〇二十四」、2220302 を「二百二十二万零三百零二」と書き、「〇」と「零」を同一視している。という。

 北宋年間に編纂されたとはいえ、『新唐書』は唐王朝時代の資料を用いており、このようなことを勘案すると、少なくとも宋代以降、中国語でも現在のように「零」を用いることが一般的になったのだろう。

 日本の漢字は「イヌ」を「犬」と書いて、現代中国のように「狗」と書かなかったり、唐代の中国語がそのまま残っている例が多いようだが、数字の数え方についても唐以前のものを使用し続けているようである。

 なお、日本などでは、ゼロという概念もしくはゼロという数字表記の発明はインドであるということが一般常識になっているが、どうもそれにも異説があるようである。実際、中国でも独自に発案され、しかもインドより古いと主張している学者もいるようである。
 この問題については、また頁を改めて書いてみたい。
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日本語は孤立した言語か?

2008/12/30 02:38
 よく、日本語は世界に同系語を見ない「孤立した言語」であると言われたりする。

 数日前、書道家・石川九楊氏の著書『漢字がつくった東アジア』を、たまたま書店で見つけ、ぼちぼち読んでいるところだが、その中に次のような一節があった。
 「当時(先秦時代)は(中国中心部)にもいろいろな構造の言語があったと思います。これは推測にすぎませんが、現代中国語と同じ構造の単音節孤立語の言葉だけはでなく、現在の日本語のような膠着語的な言葉も存在していたはずです。

 実際、春秋時代までの中国は、中心部といえども、たくさんの部族(現在の55の中国少数民族を連想させるような)が混住している地域であり、それが戦国、秦漢を経て、現在のような漢民族に統合されていったのだという。
 ならば、漢族に統合された少数民族の中に、現在の日本語と同系(比較言語学的に)の言語を話すものがいた可能性も決して捨てきれないだろう。
 そのような部族は大陸では、漢族の大海の中に統合されてしまったが、一部は海を渡って、日本列島に移住したのではないか。
 もちろん、このようなものは推測の域を出るものではないし、実証のしようもないが、現在の言語の分布状況だけを見て、「日本語を孤立した言語」などと「自虐」?するのはいかがなものであろうか?

 それと付言するならば、日本列島にしてからが、昔から同系の言語を話す民族のみが暮らしていたと考えるのも、かなり根拠のない推測に過ぎないと言うことであり、アジア太平洋の様々な言語を話す民族の「ふきだまり」だった可能性もあるのである。
 実際、世界のどこにしても、一定強力な統一政権の生じていない地域というものは、このような言語状況を呈するほかないだろう。
 日本の方言差が激しいというのも(規模がおおよそ10倍の中国ほどではないが)、一定の歴史時期にさまざまな言語を持つ民族を同化していった結果ではないだろうか?
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中国語学習の近況

2008/04/01 00:02
 『子欲居の中国語日記』と題しながら、ここ数ヶ月にわたって、とんと中国語に関する話題を載せていない。そろそろ4月であるから、筆者の中国語学習の近況を報告しようと思う。
 去年の4月から初めて、初級テキスト『中国を歩こう』(金星堂)は基本的に終えることが出来た。ただし、これは初級と言いながら、かなり内容が濃いテキストであった。
 そして、この2月くらいから『話す中国語』(朝日出版社)を教材としているが、このテキストは初級〜中級と題しながら、今のところ、上に比べてかなり易しい。
 しかし、筆者には四声に対する難点があり、物まねはできても、まだなかなか四声の符号が付いていても、その通りに正確に発音することが出来ない。よって、この夏ぐらいまで、復習をかねて『話す中国語』をやり、後、筆者が雑読的に読んでいる中国文の分からないところを質問するようにしている。
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新年好!

2008/01/01 00:37
 いよいよ2007年も終わり、2008年を迎えた訳だが、「中国語日記」と題した以上、「明けましておめでとうございます。」も、中国語で言う必要があるかもしれないが、筆者が昔習った記憶では、「新年好!」(シンニェンハオ!)でもよかったと思う。
 後、「恭賀新嬉」(コンフーシンシ)というのは、日本の謹賀新年に当たるだろうか。
 「新年明けましておめでとうございます」は、「祝ニー新年快楽」(チューニーシンニェンクワイラー)だったはずである。なお、「ニー」は「ニーハオ」のニーで、「あなた」という意味である。漢字は「称」の字ののぎ偏の代わりに人偏を付したものである。
 さて、改めて気づいたことだが、日本と中国(北京時間)には1時間の時差がある。この1時間の時差が思いがけない結果をもたらすこともあるのだが、これはまたの機会(つまり、そのような事態が発生したとき)に譲らせてもらう。
 筆者新年第一の駄弁であった。
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「『雪国』冒頭文、日英中文の比較」について・トラックバック

2007/12/29 23:43
『雪国』冒頭文、日英中文の比較」について
 面白いお話ですね。私は中国語、少なくとも上記の中国語翻訳は(英語翻訳と違って)日本語の直訳になっていると思います。
 そもそも、日本語という言語自体、二千年にも及ぶ中国語の過大な影響を受けて形成されたものです。極言すれば、中国語(正確には、いわゆる「漢文」、中国語文語文)の翻訳作業の中で、形成されていったものと言ってもいいと思います。
 実際、いわゆる漢語(和語に対する)でなくても、和語に分類される表現の中にも、中国語を直訳したような表現は、たくさんあると思います。この半年、中国語を勉強し直しだして、改めてこのことを実感しています。
 思うに、語族的な分類はどうであれ、現代中国語と現代日本語とは、古代中国語が基底にあるのであり、一種親戚同士の言語だと思います。
 日本語に関してはネーティブではない中国人の若い講師が、「日本語に直せない中国語表現は多い」と言ったりしていますが、それは(言っては何ですが)その中国人がまだまだ日本語に習熟していないからであり、むしろ類似の表現は意外と多いのではないかと思います。
 ただ、問題はそのような日本語表現が必ずしも現代日本語においてはポピュラーではなさそうなことです。
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一日30分

2007/12/28 23:04
 新聞広告で「一日30分を続けよという」ような題名の本を見たことがある。むろん、買って読んでみたわけではないが、確かに最低30分も毎日ほぼ欠かさず、やっていれば筆者の中国語もものになるかもしれない。
 ちなみに、だいぶ前に書いたが、本文を繰り返し聞くことで、だいぶ筆者の四声も改善されたようだが、これは音楽のリズムを覚えるのと同じで、応用力がない。
 この二日ほどはほぼ一日30分、現在使っているテキストを復習し、単語の声調をきっちりさせようと必死になろうとしている。他にも課題があるのだが、筆者の場合、ほぼ正確に四声を発音出来でも、今自分が発音したのが第何声か分からない場合があるので、その点を解決するつもりである。
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漢語(中国語)の起源3

2007/11/26 00:01
南方系言語と北方系言語の融合
 日本では、昨今、やたらと「長江文明」論を主張し、これをやたらと「黄河文明」と対立させようとする論者がいるが、かつて拙文でも述べたように、黄河流域と長江流域のいわゆる南北差異が基本的に形成されたのは、周代以降のことであり、それまでの商(殷)代までは、黄河流域もまた長江流域と同じ南方的状況が存在していたようである。
 実際、橋本萬太郎などが主張するように、商代甲骨文からは、人名の場合、「祖」「父」といった名前が頻出し、地名でも、「丘」、「丘」などの文字があらわれているという。
 これらは、いわゆる南方的語順であり、これが周代以降、人名の場合、「王」「王」と北方的語順に変化し、地名も、同じ「丘」、「丘」などが、「丘」、「丘」と変化するのである。
 これを橋本は、それまで黄河流域(特に中原地方)に行われていた南方系言語が、おそらく北方系言語の話者であった元来、遊牧民であった周によって、「第一次の北方化」を被った結果と説明するのである。 
 つまり、周代になって初めて、名詞句は北方型逆行構造、動詞句は南方型順行構造という南北混合型の一種の「ねじれ」言語たる漢語(中国語)が誕生したのだという。
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タイトル 日 時
東アジア北方諸言語の共通性について
 南方諸言語に対する東アジア北方諸言語の共通性についても、例えば一般にアルタイ諸語とされるツングース諸語(満州語など)、モンゴル諸語(モンゴル語、ブリヤート語など)、テュルク諸語(トルコ語、ウイグル語、カザフ語など)には筆者が紹介したような語順の共通性以外にも、膠着語であることなどの共通性がある。  しかし、上記3グループは基礎語彙が全く違うため、「アルタイ語族」としての共通性を否定する学者が多いという。  アルタイ語族の存在が否定された以上、一時主張された「ウラル・アルタイ語族」なるものの... ...続きを見る

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2007/11/25 08:25
東アジア南方諸言語の共通性は何によるものか?
 本来なら、『漢語(中国語)の起源3』を掲載しなければならないのだが、どうも以前、本ホームページ『子欲居的東アジア世界』に掲載している拙文『東アジアの北方系言語と南方系言語、及び両者の混合による漢語の形成』の焼き直し、よくて改訂版以上のものにならないと思うので、非常に身勝手な話であるが、関連する思いつきをしばらくメモ式に書かせてもらう。  拙文『漢語(中国語)の起源1』でも書いた東アジア南方諸言語の語族の違いを越えた文法的共通性は、言語学で言う「地域特性」(「言語連合」)によるものだと考えられ... ...続きを見る

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2007/11/24 02:15
漢語(中国語)の起源2
漢語の特異性  しかるに、漢語(中国語)は名詞句は北方系言語のような逆行構造であるのに対し、動詞句は南方系言語のような順行構造であり、両者が一致しておらず、東アジアの言語において(おそらく世界の言語においても)非常に特異な構造を持っているという。  例えば、名詞句は「美服」「大国」など、東アジア北方系言語のように修飾語が被修飾語の前に来る逆行構造である。現代中国語においても、「美麗的衣服」(美しい衣服)「偉大的国家」(偉大な国家)とこの点は変わらない。  いささか古い例になるが、ロシア語の... ...続きを見る

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2007/11/13 22:10
漢語(中国語)の起源1
東アジアの北方系言語と南方系言語  ある論者に言わせると、「漢語」(中国語)は非常に特異な言語であるという。  例えば、中国北方には、満州語、モンゴル語、ウイグル語などのいわゆるアルタイ諸語が中国国境を越えて広がっており、これら北方系言語は、言語構造的に、名詞句も動詞句も「逆行構造」で一致しているという。  つまり、日本語のように、名詞句の場合、「美しい服」というように被修飾語は修飾語の後ろに来る。同じく、動詞句は「山に登る」のように、動詞は目的語の後に来る。  一方、中国南方には、タイ... ...続きを見る

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2007/11/12 00:03
中国人講師の説明
「現代中国語のアルタイ語化の一例、動詞後置文の増加」について  現在、筆者が学んでいる中国語初級テキストには、前置詞「ba」を目的語の前に置き動詞を後置した構文(筆者も支持する一部日本人研究者の言う現代中国語のアルタイ語化の一例)の一つとして、次のような文章を載せている。  1.他ba我的面包chi了。(「chi」は口偏に乞、「食べる」の意)   彼(他)は私のパン(面包)を食べた。  もちろん、これは  2.他chi了我的面包。 とも言い換えられる。  ちなみに、先日習った中国人... ...続きを見る

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2007/11/09 23:25
現代中国語のアルタイ語化の一例、動詞後置文の増加
 先日の記事でも述べたように、「我到学校去。」(私は学校へ行く)と「学校」という目的語の後ろに付けられた「去」は元来、動詞であるが、この例文では「補語」とされている。  しかし、この例文はさておいて、実際に動詞が目的語の後に置かれるような現代中国語は初級テキストにも見られるのである。  例えば、「我ba空調打開。」(baは手偏に巴。私はエアコンを付けた。)  この文の場合、「ba」は前置詞とされ、動詞は「打開」であり、「空調」という目的語の後に置かれている。  もちろん、「伝統的」に「我... ...続きを見る

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2007/11/06 06:30
「機器猫」と「のび太総理」
「福田首相が民主党に連立政権を打診するも民主党は拒否」について  筆者の中国人講師によれば、『クレヨンしんちゃん』、『ちびまる子ちゃん』等の日本製アニメは中国でも結構人気があるらしいが、中でも有名なのは「機器猫」(チーチーマオ)であるという。これは『ドラえもん』の中国語訳であり、直訳すれば「ロボット猫」ということになろうが、まさに「猫型ロボット」ドラえもんの面目躍如たる翻訳であろう。 ※ちなみに、ロボット(人型ロボット=アンドロイド)は「機器人」(チーチーレン)である。  ちなみに、なぜか... ...続きを見る

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2007/11/05 00:05
中国語のアルタイ語化と補語
 拙文『東アジアの北方系言語と南方系言語、及び両者の混合による漢語の形成』の記述において、筆者は誤りがあったことを告白する。  筆者は、「我到学校去」(私は学校へ行く)という中国語を解説して、学生時代のうろ覚えの知識で、目的語(この場合は学校)の前に置かれた「到」を「補語」であると書いた。  しかし、現代中国語文法において、補語とされるのは、「学校」の後ろに置かれている「去」であり、動詞はあくまで目的語の前に置かれる「到」だったのである。  ただ、品詞分類は何であれ、「去」のような本来、動... ...続きを見る

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2007/11/04 00:53
中国語の数の数え方・続
 日中の数字の数え方の最大の違いは、現在の中国語において、0を意味する零(リン)を多用することである。  例えば、301などは、中国語では「三百零一」と言い、日本語のように「三百一」とは言わない、もし中国語で「三百一」と言えば、310のことになるという。同じく3002は「三千零二」と言って、「三千二」とは言わない。この調子で、3020は「三千零二十」、3201は「三千両百零一」、30001は「三万零一」である。  これには、筆者も少し驚いた。25年前、一度習ったと言っても、こういう身近なこと... ...続きを見る

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2007/10/29 00:38
中国語の数の数え方
 筆者は、拙文『日本語の数の数え方』で、日本語の数字の数え方は、中国式というか漢式のそれを採用したものであり、日中の数字の数え方は基本的に一緒であると述べたが、やはり微妙な違いが現代の両国語には存在している。  筆者は、前の文章では、「二」のかわりに各所で「両」(リャン)を用いることを挙げたが(例えば20は日中同じく二十であるが、200、2000になると中国語では両百リャンパイ、両千リャンチェンになる)、相違点は他にもいくつかある。  まず、日本語なら100、1000を通常、百、千、150、... ...続きを見る

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2007/10/29 00:02
「私擅長・・・」(私は・・・が得意である)・続
 ちなみに、「私は中国語を話すのが得意である」というのを、よく「我説漢語説得hen好。」というような言い方をする(henは行人偏に艮)。  しかし、講師に言わせると、これは初級(小学生レベル)の言い方であり、それに対し、前に述べたように「我擅長漢語。」あるいは「我擅長漢語会話。」というのは中級(中学生レベル)の言い方だという。  こうして、二つの例文を並べてみると、中国語が分からなくても、漢字を一個一個見ていけば分かると思うが、確かに「擅長」とかいうような「難しい」言葉を使用しなければならな... ...続きを見る

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2007/10/27 00:04
「我擅長・・・」(私は・・・が得意である)
 今回の講座では、講師のW先生から初めて宿題を仰せつかった。ちなみに、中国語では宿題は「作業」と言い、宿題をやることは「写作業」と言う。  宿題の内容は、「擅長」(シャンチャン)という言葉を使って、比較的複雑な文を五つ作ること。  「擅長」は、「擅長・・・」で「・・・が得意である」という意味である。ちなみに、「不(プー)擅長・・・」で「・・・が不得意である」という意味になる。  「擅」という漢字は、漢文などでは「ほしいまま」と訓読し、けっこう頻出した字であった。昔は「擅権」(権力をほしいま... ...続きを見る

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2007/10/26 23:42
中国語学習における漢字の「呪縛」
 中国人講師の中国語を聞いていて、漢字が思い浮かべられないとなると、その瞬間に思考が停止してしまう日本人の自分がいる。  中国語は音声を伴った言語であるとの認識がまだまだ不足しているからだとも思うのだが、同音異義語や同訓異義語の多い日本語の場合、普通、大人は人の話を聞いていても、たいてい漢字を思い浮かべながら、聞いていると思う。そして、その漢字が思い浮かべられなければ、たいてい、その言葉の意味が分からず、戸惑いを感じてしまう。  もちろん、子供はその限りではないだろうが、子供の心に帰って、中... ...続きを見る

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2007/10/25 20:46
漢語(いわゆる中国語)、漢族は中国歴史上の一定段階の産物である
 中国語と漢語との関係を実際の話者に合わせると、中国人あるいは中華民族というのは、決して漢族だけのことをいうのではなく、他の55の少数民族も全て中国人であり、中華民族ということである。  実際、中国の歴史を考えるならば、漢族しいては漢語(一般に言われる中国語)は決して中国歴史の最初から存在していたものではなく、歴史の一定段階で形成されたことが分かるのであり、漢語(中国語)の起源という問題は漢族の起源の問題でもある。  ちなみに、原漢族とも言うべき華夏族が形成されたのは周代であり、おそらくは北... ...続きを見る

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2007/10/23 00:11
中国語か漢語か
 今回、話(思考角度)を少し変えるが、筆者が25年前に中国語を習った時は、中国語のことは(中国語で)「中文」(チョンウェン)ということが多かったが、現在習ってみると、「漢語」(ハンイー)と称されることが多くなっている。  実際、中国は漢民族以外にも55の少数民族を有する一大多民族国家であり、漢族含めて56民族の言語すべてが中国語なのであり、我々が一般に中国語と呼び習わしているものは、多民族国家たる中国の一漢民族の言語にすぎないのであり、本来、「漢語」と称されるべき言語なのである。  筆者も本... ...続きを見る

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2007/10/22 00:10
まじめな中国語の起源に向けて5
 孤立語であることや声調があることは、「言語系統」上の問題ではなく、「地域的特性」であるという見解がある。  実際、東アジア南方諸言語は、「語族」の違いを越えて、顕著な類似性を示している。孤立語であることや、動詞が目的語の前に来ることなどで、これらの語群は類似している。おそらく、中国南方には、太古、多くの諸民族が居住し、様々な言語が話されていたのであろうが、上記に述べたような性質において一致点を見せていたものと思われる。  同じく中国の北方にも、多くの民族が居住していたのだが、これらの民族は... ...続きを見る

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2007/10/21 00:04
まじめな中国語の起源に向けて4
 正直言うと、もっと本を読んで基本的なことをしっかりと勉強しなければ、この問題はなかなか論じられないと思うようになってきた。  ただ、今、思っていることは、最初、絵文字しいては象形文字として出現した文字が、エジプトなどでは早い時期に表音文字化されたのに対し、漢字が表意文字(表語文字)として発展したのはやはり中国語の特質によるものが大きいと思う。  すなわち中国語は、一音節が一語となり、一つの意味を表す言語、つまり「孤立語」である。こういう中国語の特質がなければ、漢字は早期に表音文字化したか、... ...続きを見る

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2007/10/20 02:09
「愛人」「老婆」再び
 現在通っている中国語スクールの先生(もちろんネーティブ)に聞いてみると、なんだかんだ言っても、「愛人」(アイレン)と言う言葉は今なお、自分の配偶者、恋人を呼ぶ言葉として中国で一般的であると言うこと。  後、「老婆」(ラオポー)は、新婚の若い妻をもこう呼ぶことは普通であり、非常に愛情のこもった(また甘えた感じのある)言葉であるという。  ちなみに、妻を「妻子(チーズ)」と呼ぶのに対して、自分の夫のことは「丈夫」(チャンフ)と呼ぶという。  ちなみに、日本には「亭主丈夫で留守がいい」と言う言... ...続きを見る

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2007/10/19 23:38
まじめな中国語の起源に向けて3
 ここで、発想を変えて、中国語も話し言葉であることを承認する。そもそも、中国の文盲率が極度に下がりだしたのは、中華人民共和国成立以後のことであり、歴史上、多くの中国人が漢字などほとんど知らずに中国語をしゃべってきたのである。  過去の中国語を探索するには漢字で書かれた文献を検討するほかないのであるが、ここで漢字の「呪縛」からひとまず離れ、日本語とは逆に、たとえ漢字を使用していなくても、中国語と同じような言語はこの世に存在しないのかという問題について考えてみたい。  ちなみに、中国北方には蒙古... ...続きを見る

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2007/10/18 00:01
まじめな中国語の起源に向けて2
 「まじめな中国語の起源」を論ずる前に、まずなぜ筆者が一時的にせよ、そのような妄想を抱いてしまったのか、その原因について分析を加えてみたい。 1.筆者が日本語を母国語としている日本人であること  現在において、漢字を使用しているのは、中国語をのぞけば日本語だけである。そのくせ、日本語と中国語は全く「別の」言語である。  ※もちろん、これは日本語に対する中国語の影響を否定するものではない。筆者などはむしろ、日本語は中国語の影響(中国語に対する反発も含む)によって形成された言語であると考えてい... ...続きを見る

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2007/10/17 00:11
まじめな中国語の起源に向けて1
 名前が悪かったのか、筆者が14日にアップした『妄想的中国語の起源』の参照数はお寒い限りである。もっとも、自分で最初から「トンデモ」と断っているような記事を読むほど、暇な人もいないだろう。  『妄想的中国語の起源』を書いた以上、記事でも言及したとおり、今度は『まじめな中国語の起源』を書かねばならないのだが、ちょっとした文章を書くにしても、やはりタネ本にきっちりと当たらねばならないのだが、これを行う気力が今の筆者にはなかなか出ないのである。  ただ、一言言いたいことは、「真理は誤謬との闘争によ... ...続きを見る

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2007/10/17 00:11
ブログ改称一ヶ月
 本ブログの名称を『子欲居の中国語日記』と改称して、今日ではや一ヶ月になるが、この間、ほとんど中国語の勉強をしていない。週一の中国語講座も、この間、平常なら4回通うはずなのだが、種々の事情はあれ、1回しか行けていない。  4月から通い出して、その間、紆余曲折はあれ、平日の夜、週一回、講座に通い、土日に復習し、次の週の講座で、発音をチェックしてもらって、新しい課(レッスン)に入るというパターンが9月に完全に崩れてしまったのである。  今週以降は、週一のペースで行けると思うのだが、以前の学習のリ... ...続きを見る

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2007/10/15 18:20
妄想的中国語の起源
 「中国語の起源」などとエラそうな題名を付けたが、はっきり言って、余り根拠のある話ではなく、筆者が何冊かの本を読んで、もしかしたらこうなのではないかと思いついた妄想に過ぎない。  以下、箇条書きで書いていく。  1.一般に言語はまず、話し言葉が先にあって、しかる後に文字が出来、書き言葉が出来たものとされる。しかし、中国語の場合、むしろ先にあったのは象形文字から発達した漢字、しいては漢文という書き言葉ではなかったのだろうか? 2.漢字・漢文というものも、実際に当時の話し言葉を記述したものと言... ...続きを見る

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2007/10/14 08:09
「お猿さん」と「お馬さん」
 拙文『中国語の「老」について』で書いたが、中国語で、「老」を接頭語として呼ばれるのは、ネズミ(老鼠)、トラ(老虎)など一部の動物だけだそうである。  筆者は先に、この場合の「老」は日本語の丁寧語の接頭語である「お」と同じようなものだろうと書いたが、それならなぜ中国では、ネズミやトラだけが「特別扱い」されるのか?  日本語の場合も、頭に「お」、そして後に「さん」と丁寧語を付けて呼ばれるのは、猿と馬だけではなかろうか。言うまでもなく、「お猿さん」と「お馬さん」である。少なくとも、筆者は他の動物... ...続きを見る

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2007/10/10 00:14
中国語の「老」について
 中国語の「老」は必ずしも「年寄り」だけを意味しない。  例えば、人の姓の前に付けて目上の人や敬意をあらわす場合に用いる。ちなみに、同姓の人が多い中国では同じ職場に、王さんが二人いることも珍しくない。すると年長の方を「老王」、若い人の方を「小王」と区別したりする。この場合、「老王」と呼ばれる人が必ずしも老齢の人間ではないことはもちろんである。  概して、中国語の「老」には敬意を示すニュアンスがあり、自分の奥さんのことを「老婆」(ラオポー)と呼ぶのも、この点からどういう雰囲気なのかネーティブの... ...続きを見る

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2007/10/09 18:45
中国語翻訳名から考える古人類学観の相違
 劉公嗣氏の指摘をいただいて、記事のネタにと一文を思いついたのだが、劉公嗣氏のように古人類学などほとんど勉強していない筆者が若干の読み覚えをもとにこのような文章を書くのは、やはり僭越とのそしりを免れないかもしれない。  筆者も、かつて中国語の歴史関係の本を見て、日本で言われる「北京原人」が「北京猿人」などと書かれているのを見て、違和感を感じたことを覚えている。  しかし、この頃思うことは「原人」との用語が、少なくともいわゆる「ジャワ原人」やほぼ同種とされる「北京原人」に用いられるのは、やはり... ...続きを見る

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2007/10/08 00:03
「老婆」(ラオポー)
「現代中国語のお話。女房は愛人なの?」について  中国語では、親しい間柄では、自分の妻のことを「老婆」(ラオポー)と言うらしいが、中国語では「婆」という語に「老女」だけでなく、「妻」という意味もあるようである。  果たして、新婚の妻でも「老婆」と呼ぶのかという疑問もあるが、中国語の「老」や「婆」の使い方を考えると、この中国語の「老婆」というのは、古い大阪人が自分の奥さんのことを「おばはん」と呼ぶのと感じが似ているような気がする。  ちなみに、戦前の大阪を舞台にした織田作之助の『夫婦善哉』には... ...続きを見る

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2007/10/06 00:19
「我有愛人・・・」
「現代中国語のお話。女房は愛人なの?」について  25年ぶりに中国語を習ってみると、ちょっとした言葉が、その意味合いやニュアンスを変化させていることに気がつく場合がある。「愛人」(アイレン)などもその一つである。  25年前、中国語で「愛人」(アイレン)と言えば、配偶者もしくは恋人のことだった。そのノリで、「我的愛人・・・」(私の妻は・・・)としゃべり出すと、若い中国人講師がどきっとしたような表情を見せ、その場合は「愛人」ではなく、「妻子」(チィズ)を用いるべきだという。  「どうやら、日本... ...続きを見る

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2007/10/05 23:59
蛍は中国では気味の悪い虫とされている?
 今日は三週間ぶりに中国語講座に行った。基本的に週一の講座であるが、文化祭準備とこちらの体調不良のために2週連続で休んでいる。  講師のW先生に、日頃からの疑問に思っていたことを質問してみた。「昔、中国では蛍は気味の悪い虫とされていると聞いたが、今でもそうなのですか?」。  日本で風流な虫とされている蛍も、中国では光って飛ぶ様が人魂を連想させ、気味の悪い虫とされていると、昔、本で読んだ筆者は、よく授業でも、このことを生徒に語ってきた。  すると、去年、ある生徒が、「そんなことはない。」、「... ...続きを見る

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2007/10/03 22:51
今日は中国の国慶節(建国記念日)
 本日10月1日は、中華人民共和国の国慶節、つまり建国記念日である。筆者などが25年前、中国語を学習した際、確か北京放送の中国語初級会話というテキストを使っていたのだが、その中に、「一九四九年十月一日、毛主席在天安門城楼上、宣布了中華人民共和国成立。」(「1949年10月1日、毛沢東主席は天安門の楼上で、中華人民共和国の成立を宣言した。」)という一節があった。  1949年に中華人民共和国が成立したのだから、今年で中華人民共和国は建国58周年と言うことになる。当時のテキストの例文で言うと、「到... ...続きを見る

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2007/10/01 00:06
日中国交正常化35周年
 1972年9月29日、日中両国は共同声明を発表し、日中の国交正常化がなされた。昨日は、その35周年の記念日である。  1949年の中華人民共和国の建国にかかわらず、それまで、日本は台湾に逃れた蒋介石の「国民政府」を「中国の正統政府」として承認し、中華人民共和国を承認しない政策を取ってきたわけだが、こんな目茶苦茶がいつまでも続けられるわけはない。  71年の中国の国連復帰(同時に行われた台湾の国連機関からの追放)、更には72年のニクソン訪中による駐米和解などの情勢の中で、時の田中角栄総理が訪... ...続きを見る

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2007/09/30 17:29
「全日空」はなぜ機体のロゴを「ANA」に変更したのか
 2003年、全日空こと全日本空輸が機体のロゴを全日空からANAに変更したが、この「改名」に関しては、次のようないきさつがあるという。  「全日空」というのは、中国語では「全日(一日中)ひま」という意味になる。現代中国語の「空」には、「ひま」とか「から」という意味があっても、「そら」という意味はない。  日中の経済関係の発展に伴って、全日空も中国便が増えるにつれ、機体のロゴが「全日空」では企業イメージが非常に悪いと言うことで、ANAに変更したのだという。 ...続きを見る

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2007/09/29 00:02
「勉強」 漢字は同じでも日中両国語で意味が違うもの
 現代中国語にも、「勉強」という言葉はあるが、中国語には日本語のような「学習する」という意味はない。「勉強」は、現代中国語では「無理をする」という意味である。  大阪の商売人が「勉強させてもらいまっさ」と言う場合、それは「(無理をして)値段を負けさせてもらいます」という意味である。その点では、大阪弁の「勉強しまっさ」は現代中国語の「勉強」にニュアンスの近いものがあると思う。  案外、大阪圏というか西日本は、地理的に近い分、中国の影響が強いのであろうか?  そう言えば、大阪人がよく使う「ぜに... ...続きを見る

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2007/09/28 00:51
中国語と韓国朝鮮語
 少年時代、韓国朝鮮語は文法は基本的に日本語と似ており、語順などは変わらないが、発音はとても難しいと読んだ記憶がある。  しかし、中国語の四声のことを考えると、その韓国朝鮮語の発音の方が、まだ中国語の発音よりは簡単そうである。これは、最初中国語を学習して韓国朝鮮語に鞍替えされた方がおっしゃっているのだから、そう間違いはなかろう。もっとも、人ぞれぞれの気質や才能の違いというものが存在し、一概に言えないかもしれないが。  ちなみに、中国語と韓国朝鮮語とは全く別の言語であるが、日本ではある種の偏見... ...続きを見る

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2007/09/18 23:04
25年前との中国語学習環境の違い その2 社会面の問題・続
 それが今、私が就職して中国語と遠ざかっている間に、中国の経済発展はめざましく、政治面の冷却にもかかわらず、経済的には既に日中は切っても切れない仲になっている(政冷経熱)。  それにつれて増えたのが、80年代以降、日本に移住してきた「新華僑」と呼ばれる人々の存在であり、また国費留学生の方は知らないが、日本への私費留学生の増加である(これは中国で富裕層が増えていることとも関連しているのだろうが)。  実際、町中や電車の中で、中国語を聞くことはここ10年かなり頻繁になったし、気が付けば、大阪など... ...続きを見る

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2007/09/17 21:56
25年前との中国語学習環境の違い その2 社会面の問題
 次にむしろこちらの方が重要かもしれないが、1980年前後と現在との社会面での違いである。  まず、筆者が大学に入った80年前後、78年に日中平和友好条約が結ばれたこともあり、日中間の関係は現在とは比べものにならないくらい友好的であった。中国残留日本人孤児の肉親捜し、日本帰還が始まったのも、ちょうどこの頃である。そして、中国は現代化路線の下、日本の国立有名大学、関西で言えば、京大、阪大などにも、理工系の国費留学生を派遣していた。  つまり、当時、中国の人と交流しようとしても、これらの国費留学... ...続きを見る

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2007/09/17 21:40
25年前との中国語学習環境の違い その1 機械面の問題
 なお、色々な面での、筆者の大学時代と現在との中国語学習をめぐる環境の違い、特に今回は物質面の違いを書いてみようと思う。  筆者の学生時代の1980年前後は、まだアナログ機械、例えばLPレコード、カセットテープなどの全盛時代であり、読書を重視し、音楽を軽視していた筆者は当然、それらのアナログ機械の操作にも違和感を感じていた。筆者が、音楽に一定関心を持ち、それらのアナログ機械の操作に興味を持っていたら、筆者の中国語学習もかなり違ったものになったかもしれない。  筆者が機械ものに興味を持ちだした... ...続きを見る

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2007/09/16 02:39
閑話休題 四声を理解できなかった中国人
 昔、大学で聞いた講義のうろ覚えであるが、中国語には四声は元から存在していたはずだが、中国人が四声の存在を認識しだしたのは、比較的新しく、南北朝時代に仏教の伝来と共に、インドから音韻学の知識が伝わってからだという。  それでも、正確に四声を使い分けているのに、四声の存在を理解できなかった中国人は少なくなかったようであり、有名なところで南朝の梁の武帝などは、ついぞ四声というものを理解できなかったようである。もちろん、だからといって、彼が四声が無茶苦茶な中国語をしゃべっていたわけではない。 ...続きを見る

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2007/09/16 02:20
筆者が最近始めた四声勉強法
 眠れぬ夜に、ぼつぼつとブログを書いていたら、四声に関して、「中国語を話す日本人」さんより、さっそくコメントをいただいた。「そんなに、気構え無くても良いんじゃないでしょうか?」ということなのだが、筆者の場合、「例えば日本語でも、『橋』は二声、『箸』は四声ですよね。」と言われてもピンと来ないのである。  ただ、順番が逆になったが、なぜ筆者が再び中国語に取り組む気になったかということを書く前に、筆者が今回始めた勉強法について書かせてもらうことにする。  それは、とにかくテキスト付属のCDを聞いて... ...続きを見る

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2007/09/16 02:14
中国語の特徴2 四声(声調)の存在 その二
 中国語の四声(声調)というのは、言わば中国語には、一個一個の漢字に定められた上がり下がりのリズムがあるのであり、それが中国標準語では4種類存在する。  そして同じ音でも、そのリズムが違えば、意味が異なってしまう。つまり、四声がきちんと出来なければ通じないのである。  日本語の場合、同音異義語が多いが、それを発音のリズムによって区別すると言うことはあまりない。「コウエン」と言われても、我々日本人はそれが「公園」なのか、「講演」なのか、あるいは「公演」なのか、会話の前後関係の中で判断し、常にそ... ...続きを見る

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2007/09/16 01:23
中国語の特徴2 四声(声調)の存在 その一
 筆者は高校時代、漢文の授業などの影響で、中国の歴史や思想に興味を持ち、漢文のエキスパートになりたいと思い、漠然と中国語も出来るようになりたいと考えた。  しかし、今から思えば、無謀なことだったが、中国語がどんな言語なのか、高校時代、全く知ろうともしなかったのである。知っていることと言えば、1)漢字のみで表記される、2)英語のように目的語が動詞の後にくる(よって漢文のように日本語化する時は、ひっくり返して読む)の二点ぐらいであった。  また、筆者が入学した頃の中国文学科というのは(今はどうか... ...続きを見る

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2007/09/16 01:04
国語漢文
 実は、この中国語が話せなくても、「読」んで意味を理解するという点においては、日本人は重大な「前科」を持っている。  それは高校の国語の時間などでも習う漢文である。日本人はかなり古くから、中国文を中国語の発音で読む方法を放棄し、「日本語に翻訳」して読んできたのである。  筆者の中国文の読み方も、基本的には漢文の方法を踏襲してきたのである。現在、中国語を習っている若い中国人教師に、この日本固有の中国文読解法を説明すると、彼は「よくそんな器用なことが出来るものだ」というような目で筆者を見るのであ... ...続きを見る

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2007/09/15 00:57
中国語の特徴1 漢字の使用
 私は20数年前に某私立大学の中国文学科を卒業し、大学外の講座も含めて二三年は中国語を学習した。しかし、中国語はほとんど話せないし、聞き取れない。  そのくせ、中国語の本は案外「読」めて、もちろん日本語のように自由に読みこなせないが、本ホームページの方に中国語パンフレットの翻訳文を載せたりしている。  「受験英語」と言われ、英語を読めても、英会話の出来ない日本人の特性は、よく指摘されているが、中国語の場合、この日本人の欠点が顕著に表れるのである。  というのも、中国語は表意文字たる漢字で表... ...続きを見る

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2007/09/15 00:19

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子欲居(熊猫さん)の備忘録 中国語のテーマ/BIGLOBEウェブリブログ
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