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みんなの「歴史」ブログ


東シナ海横断航海の危険性に対する疑問

2018/02/04 19:13
八幡和郎氏の所説への疑問 意外と近い中国と日本・琉球

 筆者は先(*1)に、言語学者・橋本萬太郎氏の発言を引用して、長江下流域の中国語方言と沖縄の言葉との発音組織の共通性について言及し、沖縄の言葉(琉球語)が大和語(日本語)と長江下流域の言語との混合言語である可能性について言及した(*2)。
 しかし、それに対し、ことさら浙江省・江蘇省(長江下流域)から東シナ海を横切る航海の危険性を指摘する言説もある。それは、元通産官僚という徳島文理大教授・八幡和郎氏であるが、ここで少し氏の発言を引用してみる。
東シナ海の風波は高い。しかも、風向きがかわる。だから、江南地方から沖縄、鹿児島、五島列島などに簡単に航海できるものではない。」(*3)
中国人の地理観として琉球は福建省の先にあった。浙江省や江蘇省から東シナ海を横切る航海は常に危険が高いものだったからで、福建省からが安全だった。」(*4)
 一方、考古学者・森浩一氏は戦争中の話として、中国のジャンク船で寧波(浙江省)沖を船出して、20時間ほどで唐津に到着した人の経験を紹介し、長句下流域と九州との「意外な近さ」について言及している。もとより、森浩一氏は「江南から二〇時間かけて来られるといっても、海流とか風とか、季節によるクセとか、長年の経験と技術で熟知している連中だから来られる」と断っている(*5)が、筆者は伝聞ながら実体験に基づいた話という点で森浩一氏の方に軍配を上げたい。
 確かに、東シナ海横断経路を取った遣唐使の難船率などを見ると、八幡氏の所説に肯きたくなるが、これはやはり航海術の未熟さによるものであろう。先に挙げた長江下流域と沖縄の言葉との共通性などを考えれば、東シナ海を横切っての航海は決してまれではなかったのではないか。
 どうも、八幡和郎氏は、その著作(*4)から見ても、政略的に沖縄と中国(特に長江下流域)との関係を縁遠いものに印象づけようとしている感がある。思うに、氏は橋本萬太郎氏の言説を知っていて、それを否定するために「危険」説を唱えているのではないだろうか。
 それによって結局、「中国文明は韓国"素通り"で日本にやってきた」(*3)と主張しながら、稲作などが長江下流域から日本列島に直接伝播した可能性を否定してしまっているのだが、この問題については、また稿を改めることにする。

(*1) 拙文『沖縄は中国と最も縁遠い存在なのか』(2018年1月)
(*2) なお引用した橋本氏の発言は、同氏編『民族の世界史5 漢民族と中国社会』山川出版社 1983年終章『座談会「現代の漢民族」』に載せられたもの。なお、橋本氏は『現代博言学』(大修館書店 1981年)において、「沖縄の言葉(琉球語)が大和語(日本語)と長江下流域の言語との混合言語である可能性」について踏み込んで言及されているようである。
(*3) 八幡和郎『中国文明は韓国"素通り"で日本にやってきた』(『アゴラ』2018年1月19日)
(*4) 同『ウーマン村本が知らない沖縄と中国の本当の関係』(『アゴラ』2018年1月17日)
(*5) 森浩一編『倭人伝を読む』(中公新書 1982年)
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漢字・漢文への対応の違いが日・韓語を別言語にした

2018/02/04 10:04
 韓国・金容雲教授『日本語の正体』を読んで

 韓国・金容雲教授『日本語の正体』(*1)によると、朝鮮韓国語(以下、金教授に従い「韓国語」と略称する)と日本語とは元々は同源の言葉であったが、その後の漢字・漢文に対する両者の対応の違いから、現在のように「完全に異なる」言葉になったという。両者は印欧語の研究から始まった西欧の比較言語学では「とうてい御しえない、特殊な関係」であり、「なまじ近代言語学が日韓語を遠いものに思わせている」という。
 少し、金容雲教授の所説を紹介すると、現在の韓国語は新羅語がベースとなっており、その新羅語と百済語とは方言程度の違いしかない言語であり、一方、古代大和朝廷(倭国)は百済の列島における「分国」(王族を首領とした植民国家)であり、その宮廷言語は百済語であったという。
 多くの日本の読者は、「大和朝廷は百済の分国」という主張に抵抗を覚えるだろうが、筆者は白村江の戦いにおける大和朝廷の異常なまでの百済に対する肩入れ、その後の亡命百済人の重用などを見ると、あながち「トンデモ」と言えず、十分あり得たことではないかと思う。
 金教授の所説に戻るが、白村江の戦いの後、新羅は朝鮮半島を統一し、漢化政策を推し進める。漢文を中国式に直読し、漢字の読みも音読み(それも日本と違って一種類)だけとし、人名・地名などの固有名詞までも唐風に改めた。多くの漢語が流入し、その発音をそのまま採用した結果、音韻範囲は膨れあがり(ちなみに今日の韓国語では2000以上の音韻を用いているという)、現在につながる韓国語が形成されていった。
 一方、列島は地理的条件もあり、半島のような漢文直読も定着せず、むしろ漢文訓読を採用し、漢字も音読み(それも呉音・漢音等複数併存)と共に訓読みを行い、大量の漢語の流入に際しても、従来の音韻(日本語の音韻は70程度)を変えずに対応した。これが現在につながる日本語となる。
 なお、石川九楊氏(*2)を元に、金教授の所説を補足すれば、列島では漢字・漢文の訓読の過程で、多数の新生和語が形成されたことを付け加えねばならないだろう。つまり、当時の大陸と列島の文明差は圧倒的であり、流入した漢語・漢字のすべてに対応する倭語(百済語)が必ずしも存在するわけではなかった。結果、訓読みに際して、従来の倭語に新たな意味が付与されたり、倭語(百済語)だけでは足りない場合は、当時、列島に行われていた新羅語その他の語彙も採用されたのである。
 思うに、現在の韓国語・日本語の関係(文法の共通性、語彙・音韻の相当な懸隔)は、基本的には金教授の所説によって説明できると思う。列島も半島も、言語的には余り変わらない地域であったのが、漢字・漢文への対応の違いによって、現在に至る日本語・韓国語が形成されたのであろう。
 なお、金教授は韓国語・日本語の同源性を強調されたいようだが、石川九楊氏的には、むしろ日韓語共に(ベトナム語もそうだが)漢文・漢字によって形成された言語であることを強調すべきだろう。このような漢文・漢字の介入によって形成された日韓語は、共にそれ以前の新羅語、倭語(百済語)とは、似ても似つかぬ言語であったことだろう。
 もっとも、ついでに補足すれば、現代中国語もまた漢文・漢字によって形成された言語なのであり、古典漢文との間には相当な違いがあるのだが。

(*1) 金容雲『日本語の正体』(三五館 2009年)
(*2) 石川九楊『日本語とはどういう言語か』(中央公論新社 2006年)
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日本国号は中国起源という問題に関連して

2018/01/26 22:05
 先日の文章(『日本形成における中国文明の働き』)で、「日本」という名称は、中国伝来もしくは西方から列島に渡来した中国人の考え出したものではないかと書いた。そもそも、日本列島を「日の本」(太陽の下=東方)と認識するのは、西方大陸の中国人であり、列島から見れば、「日の本」は太平洋であり、根っからの列島先住民なら、このような認識は持たないだろう。
 これはむろん、筆者の独創ではなく、若い頃にこのような考え方に接したことが、私の本格的な歴史研究のきっかけとなっていることは否定できない。正直言うと、今までこのような考え方に100%の確信を持っていたわけではないが、最近、岡田英弘の著作(*1)を読んで、筆者は西方から列島に渡来した中国人(それも漢族)の発想と確信するに至ったのである。
 もちろん、岡田がこのような考えを述べているわけではないが、彼の関連著作には繰り返し、古代、日本列島には多数の「華僑」(中国人)が渡来したこと、彼らが日本語始め日本文化を形成したこと。そして、日本国号国家、「日本民族というアイデンティティ」(当時においては、あくまでアイデンティティであり、実体ではないが)の実質的形成者であることが述べられている。
 筆者は、正直、内藤湖南などの影響を受けて、中国文明の「にがり」作用によって、日本が形成されたとは考えていたが、それを具体的に伝えたのが古代においては渡来中国人であるという認識は余り持っていなかったのである。

 ところで、「日本」が「日の本」(東方)ならば、「朝鮮」は「朝が鮮やか」であり、これも東方である。「朝鮮」もまた、「日本」と同じく、半島先住民の発想ではなく、西方大陸から渡来した中国人の発想であろう。古代朝鮮半島についても、おそらく日本列島と同じ様な状況があったのであり、これについては、拙文(『日本人はどこから来たか?』)を参照していただきたい。

 さて、拙文に対し、古くからのネット上の知人である劉公嗣氏からいただいたコメントによると、「平安時代の『日本書紀』の講読では、日本は中国(唐)からの他称との説が主流だった」そうであるが、そう言えば、網野善彦が次のようなことを書いていた。
 この国号については、平安時代から疑問が発せられており、承平六(九三六)年の『日本書紀』の講義(『日本書紀私記』)において、参議紀淑光が「倭国」を「日本」といった理由を質問したのに対し、講師は『隋書』東夷伝の「日出づる処の天子」を引いて、日の出るところの意と「日本」の説明をしたところ、淑光はふたたび質問し、たしかに「倭国」は大唐の東にあり、日の出る方角にあるが、この国にいて見ると、太陽は国の中からは出ないではないか。それなのになぜ「日出づる国」というのかと尋ねている。これに対し、講師は、唐から見て日の出る東の方角だから「日本」というのだと答えている(中略)
 延喜四(九〇四)年の講義のさいにも、「いま日本といっているのは、唐朝が名付けたのか、わが国が自ら称したのか」という質問が出たのに対し、その時の講師は「唐から名づけたのだ」と明言している(『釈日本紀』)。実際『史記正義』という大陸側の書には、則天武后が「倭国を改めて日本国」としたとあり、そうした見方も早くからあったのである。(*2)
 もとより、網野が言うまでもなく則天武后云々は誤りであるにしても、「日本」国号は「唐人より呼候(よびそうろう)」ものであること(中国大陸側に視点を置いていること)は否定できないであろう。

 ただ、筆者のあくまでつたない漢文知識から言っていることであるが、「日本」とか「朝鮮」と言うのは,何か漢文としては変則的なような気がするのであるが、この辺については専門家のご教示をいただきたいところである。ただ、変則的だとしても、これは「和臭」(日本人の漢文の癖)とか言ったものではなく、渡来漢人の多様性(地方性、その他あらゆる意味での)によるものだと筆者は考えている。どうも、「和臭」も含めて、「和」というものは「漢」が作ったのではないかと考える昨今である。

 (*1)岡田英弘『日本史の誕生 千三百年前の外圧が日本を作った』(弓立社 1994年10月30日)
 (*2)網野善彦『「日本」とは何か』 『網野善彦著作集第十七巻「日本」論』(岩波書店 2008年5月23日)P117〜118。もとより、『日本の歴史00巻「日本」とは何か』(講談社 2000年10月)初出の文。
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「沖縄は中国と最も縁遠い存在なのか」増補改訂版

2018/01/20 20:16
沖縄は中国と最も縁遠い存在なのか」について
本HPにアップしました。
http://www.eonet.ne.jp/~shiyokkyo/2018/okinawa.html
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沖縄は中国と最も縁遠い存在なのか

2018/01/18 20:59
 弥生時代以降、日本列島には「弥生人」という中国大陸や朝鮮半島の住民と共通性の高い人間集団が移住して来た結果、本土の住民(いわゆる大和族)には、先住の縄文人の特質は少なくなり、そういった移住の波の及ばなかったアイヌと沖縄に縄文人の特質が残っているという説がある。
 しかし、この説が正しいとしても、あくまで本土の人間との比較の話であって、アイヌや沖縄人が縄文人の生き残りという話にはならない。アイヌや沖縄に、本土が受けたような移住の波が及ばなかったとしても、本土とは違った大陸からの影響は十分あったはずである。
 実際、アイヌの形成に当たっては、北方オホーツク文化の影響が指摘されているし、沖縄人にしても、その言語は確かに日本語の方言(大和語と同系語)とされるものの、前(*1)にも紹介したが、言語学者による次のような指摘がある。
 「言語の方からみたら――とくに発音の組織の面に限っていうと、沖縄のことばは、日本語じゃありませんね。日本全国の方言をみてみると、あそこだけしかないものが、あるわけです。しかも、その特徴は全部、大陸の、なかでも沖縄と相むかいになった長江(揚子江)下流域の言語だけと共有しているわけなんですよ。」(*2)
 もちろん、このような沖縄のことばの特徴は、いつ頃形成されたか分からない。しかし、日本語と同じ文法組織と長江下流域の言語と共通の発音組織という二重性は、沖縄語のピジン性を示唆するものである。
 なお、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住し、この時期に言語が日本語に近いものに変わったのではないかと指摘する向きもあるが、当然、その前から沖縄に「先住民」はいたのであり、彼らがどのような言語を話していたかは分からない。しかし、上に挙げた沖縄語の特徴から考えて、もともと「中国語」(厳密には長江下流域で話されていた言語)が話されていた地域に、日本語系集団が侵攻・支配した結果、言語混合が起こり、現在のような琉球語が形成された可能性も考えられるのである。
 というか、そもそも沖縄諸島に移住したのは決して日本語系集団だけではなく、対岸の中国長江下流域からの移住もあったのではなかろうか。当時の状況(例えば宋船の列島への頻繁な渡来など)を考えると、日本側のみの一方的な移住をのみ想定するのは、むしろ不自然である。こういった移民間の争闘(*3)の中で、日本語系勢力が主導権を握ったものの、中国語系勢力の数も少なくなく(むしろ発音組織に中国語が残ったことを考えれば、こっちの方がかなり多かったことが考えられる)、結果、文法・語彙は日本語、発音組織に長江下流域の方言を残す琉球語が成立したとは考えられないだろうか。
 ちなみに、琉球の国家形成を「倭寇」(日本の海賊と言うより、日朝中混合の無国籍海上勢力)の活動の産物であると考える研究もあるようだが(*4)、ならば、中国王朝による「琉球王国」冊封には、「海賊」勢力の「招安」(公認・帰順)という側面があったともいえるし、そもそも上の言語混合も「倭寇」内の「日中共闘」が一因になっているのかもしれない(笑)。
 
 なお、筆者がこの一文を書いたのは、かのウーマン村本氏を批判した『ウーマン村本が知らない沖縄と中国の本当の関係』(八幡 和郎)などという記事を目にしたからであるが、その中で、八幡は「本土では中国人や韓国人と共通性が高い弥生人が優勢だ。しかし、弥生人がやってくる前から日本列島に住んでいた縄文人らしい特質をもつ人たちは、北海道や東北と南九州や南西諸島に多い。そういう意味では、沖縄の人は日本人のなかでもっとも中国人と縁遠い存在だ。」と述べる。
 しかし、上の長江流域との言語共通性という要素を考えれば、確かに沖縄人が本土人より縄文人らしい特質を保持していたとしても、「中国人ともっとも縁遠い存在」と述べるのは、当たっていないと思う。縄文人の性質と中国人との親縁性は、決して矛盾するものではない。
 また、当時の東アジアの状況や、琉球語に残された性質などを考えた時、八幡の言うような「民衆レベルでの交流は圧倒的に日本、とくに南九州との方が分厚く、人の行き来も中国などとは比較にならないほど頻繁」などと言ったことが果たして言えるのだろうか。
 沖縄は日本や中国の影響の中で、独自の文化を形成したのであって、「薩摩入り」や「琉球処分」の歴史を当然視して、安直に「日本の一部」などと主張するのは、「中国の属国」と同レベルの"妄言"であろう。少なくとも、沖縄は大和ではない。

(*1) 拙文『日本民族の形成(2) 日本民族の構成要素 琉球は大和ではない
(*2) 橋本萬太郎編『民族の世界史5 漢民族と中国社会』山川出版社 1983年終章『座談会「現代の漢民族」』での橋本萬太郎の発言。
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「ブラック・アテナ」再び

2018/01/16 21:06
 マーティン・バナール『ブラック・アテネ』をググってみると、同書を「トンデモ」本と評するものが少なからずあった。正直、これらの記事(多くはブログ)を詳細に読んだわけではないし、ましてや『ブラック・アテネ』自体を読んでいない筆者には、『ブラック・アテネ』がトンデモなのか、「トンデモ」と評して言う方がトンデモなのか、判断することはできない。
 しかし、本当にトンデモなら、そもそも論争など起こりえないだろうし、既に「古代ギリシア文化におけるオリエントの影響の大きさを重視すべきだ」という見解が主流になりつつあるらしい。思うに、『ブラック・アテナ』が反発を受けた基本的な原因は、今まで皆が知っていながら、あえて言うことがなかった「高貴なお方」の「出生の秘密」を公言したことにあるのではないか。
 そもそも、「オリエントの影響」などは距離や年代から考えても、ある意味、自明であり、実際、40年前の筆者の高校世界史教科書にも、今読み返してみると、「ヨーロッパの古代文化は、オリエントの影響を受けて、地中海東部からひらけた。」(*1)と書いてあったのだが、世界史の教師はそんな事にはかまわず、ギリシア文明とオリエント文明とが全く別物であり、「自由で民主的なヨーロッパ」と「専制的なアジア」という二項対立で、ペルシア戦争などを説明し、筆者自身、それで納得していたように記憶している。
 このような傾向は今なお一般的であり、今たまたま手元にある世界史参考書(*2)などは、「オリエントの影響」などについては、全く触れていない。専門家に言わせれば、オリエントの影響など、「わざわざ言うまでもこと」なのかもしれない。しかし、これこそバナールなどが批判しているように「その(バナールの主張する)ようなことは、もうとっくに分かっている」(*3)こととして、実質上、否定してしまうことなのではないだろうか。
 古代ギリシア文明が、ギリシア人が「ヨーロッパ」で自発的に形成したものではなく、先行オリエント文明の派生文明であることを認めるならば、実際、色々と歴史の枠組みは変わっていくはずである。
 まず、古代ギリシアをヨーロッパとして、オリエント(アジア・アフリカ)と異質なものとして扱ってきた従来の歴史観は是正されなければならない。どちらも、オリエントという名称を変更するとしても、同地域の文明として、「西アジア」でなくても、「西ユーラシア」(北アフリカ含む)の文明として再編されるべきである。そもそも、当時において文明圏としての「ヨーロッパ」など未だ成立していない。「地中海世界」などと称して、ギリシア・ローマをオリエント(メソポタミア・エジプト含む)と区別する必然性もないだろう。そもそも、「地中海文明」の直接継承者はイスラム勢力ではないのか。
 おそらく、マーティン・バナールの大部の著作を読むことは、専門家でもばければ、余り有効な時間の使い方ではないだろう。しかし、彼の提起した基本テーゼをふまえながら、新たな世界史の枠組みを考えていくことは有効であると思う。

 (*1) 村川堅太郎等著『詳説世界史(改訂版)』山川出版社1977年。
 (*2) 早稲田大学教授・福井重雄著『基礎からよくわかる世界史B』旺文社 1994年。
 (*3) マーティン・バナール『ブラック・アテナ 第1巻:古代ギリシャの捏造』日本語版刊行記念シンポジウムに寄せて
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日本にこそ必要な「ブラック・アテナ」論争

2018/01/15 21:36
 マーティン・バナールが『ブラック・アテナ』という本を書いて、古代ギリシア文明の「アフロ・アジア(アフリカ・アジア)的ルーツ」を主張したことが、欧米では論争を引き起こしているという。本人の言葉を借りると、「古典学、古代史以外の分野の学者は、私の考えのどこがおかしいのか理解しかねるとしている。」(*1)というが、確かに極東に住んでいる我々からすると、古代ギリシア文明が先行オリエント文明(エジプト・メソポタミア含む)からの派生文明であることは自明のことのように思えるが、古代ギリシアをヨーロッパ文明の源流と主張してきた欧米では、ギリシア文明の自発性を否定されたことに対する反発が根強いのだろう。
 しかし、アルファベットの起源はフェニキア文字であり、それはエジプトのヒエログリフを表音化、簡略化したものであるし、ヨーロッパの農耕にしたところで、当然,先行オリエント地域から伝播したものであることは間違いないだろう。別にギリシア語が印欧語族に属することは、エジプトや西アジアなど(多くは非印欧語族)からの文化借用を否定する根拠とはならない。
 ちなみに、バナールによると、「それまでにベトナムと日本の歴史について学んでいた」ことが、「ギリシアの歴史モデルを構成する上で大きな助けとなった。」(*2)らしいが、確かにベトナムも日本も中国文明からの派生文明であり、中国語と言語を異にしながらも、中国語からの借用語の多さと言い、中国文明の影響は明白である。
 それを言うと、欧米でバナールの所説に噴出したような反発が、ここ日本でも存在する。ギリシア語と古代エジプト語の所属語族が違うように、中国語と日本語の所属語族が違うことをもって、中国文明の影響を否定しようとする論者は日本でも存在するし、たとえ中国文明の影響は否定しないまでも、日本文明の自発性だけは、どうしても保持しようとする論者の方がむしろ多いだろう。
 むしろ、バナールの主張が論争を巻き起こすだけ、欧米社会の方が日本社会より成熟しているというべきなのかもしれない。そもそも、日本の既存学界には(内藤湖南以来)一人のバナールも出現していないのである。

 (*1)マーティン・バナール『ブラック・アテナ 第1巻:古代ギリシャの捏造』日本語版刊行記念シンポジウムに寄せて
 (*2) マーティン・バナール 片岡幸彦訳『古代ギリシア文明のアフロ・アジア的ルーツ――古代ギリシアの捏造 1785―1985』(新評論 2007年)の「序文および謝辞」。
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サイト「子欲居的東アジア世界」の基本テーゼ(6)

2018/01/14 08:34
6 古代ギリシア・ローマは西アジアの派生文明である
 ヨーロッパ文明のルーツとされるギリシア文明が西アジア文明からの派生文明であることは間違いない。古代ギリシアしいてはローマも、古代西アジア世界史の一部として扱うべきである。実際、ギリシアを統一したアレキサンダー大王がペルシャ帝国征服に乗り出したこと、ローマ帝国の重点が東部分にあったことなどを考えれば、事は明白であると思う。
 ギリシア・ローマをもって「地中海文明」と称する向きもあるが、それならギリシア・ローマ文明の実質的後継者は、西アジア文明をも継承したイスラムである。地中海世界の大部分の地域のイスラム化は、実質上、古代ローマ的社会の社会変革という文脈で見るべきである。一方、ゲルマン民族に征服された西ヨーロッパで行われたのは、古代ローマ的社会の発展的変革ではなく破壊であり、西欧はいまだキリスト教の残る後進地帯となった。そこに行われたのがゲルマン土俗的キリスト教とも言うべきカトリックである。
 この時代、西洋史の表舞台はイスラム圏であり、それに東ローマが続く。西欧は「遅れた辺境」であり、西欧が「ヨーロッパ世界」としての実質を持つのは、やっと近代の入り口においてである。 しかし、歴史の弁証法と言うべきか、その「遅れ」が次の段階では優位に働いて、西欧ではいち早く資本主義が発達し、その後の世界史が展開する。
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サイト「子欲居的東アジア世界」の基本テーゼ(5)

2018/01/14 08:30
5 日本語は漢語・漢文の訓読によって形成された
 日本語は比較言語学上、「系統不明の孤立語」とされ、日本文化の特殊性、自発性を示すものと考えられることが多かった。しかし、種々の状況から考えて、日本語は7世紀の日本国号国家成立と前後して、漢語・漢文の訓読作業によって形成されていったという説に賛同せざるを得ない。
 漢語・漢文を当時の大和支配層の言語(おそらく百済語と同系で、高句麗・扶余とつながるアルタイ系言語)の統辞構造に随って(動詞をひっくり返して)読み、漢語の翻訳語(訓読み)として、列島に行われていた種々の北方系、南方系言語から語彙を選び出して当てはめていく作業により、今につながる日本語は形成されていった。
 これは、日本国号国家成立時、たとえ畿内に限られるとは言え、日本国に結集した諸民族の共通語として考案されていったものであり、朝鮮語も、ほぼ同時期、同じような作業によって形成されていったものと考えられる。これによって日本語と朝鮮語が統辞構造で共通しながら、語彙の面でほとんど一致しない原因が説明されると考える。
 つまり、石川九楊などが主張するように、日本語は基本的に中国語(漢語・漢文)の影響(それに対する異和・反発も含めて)によって形成されたものなのである。
 なお、日本民族は大和・琉球・アイヌの三者で形成されるという主張に従えば、国内的には「大和語」とか「共通語」とでも称されるべきかもしれない。
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日本民族の形成(2) 日本民族の構成要素 琉球は大和ではない

2018/01/13 23:42
 新年早々、お笑い芸人・ウーマン村本が、沖縄について「もともと中国から取ったんでしょ」と発言したとかいうことで、「小学生以下の知識」とか色々とたたかれているらしい。ちなみに、本人自身は、「(琉球王国が)明と冊封関係を結んでおり、これは琉球が明の従属国となることをいいます」とのネット記事を「拡大解釈」したものと「反省のツィート」をしている。
 しかし、ウーマン村本が引用したように、沖縄は明治になるまで、琉球王国として中国王朝と冊封関係を結ぶ独立国だったのである。その独立国だった琉球王国を、当事者の意志に関係なく、「琉球藩」を経て「沖縄県」として、日本に併合してしまった(「琉球処分」)ことを、むしろたたいている当の人間たちが、どれほど知っているのだろうか。
 アイヌが「日本人」から排除されるのに対し、「日本人」との同一性が強調されるのが、琉球民族である。前述の戴國輝は、「日本人のほとんどが革新系をふくめて、沖縄復帰でなぜ琉球民族を大和民族の一分支と位置づけ、両者の類似性ばかり強調して、強引に大和民族に帰一させたがるのか、僕にはわからなかった」、「ああいう強引な大和民族国家論というものにたいして、疑念がつきなかった」と述べている。念のために補足すれば、戴國輝は「僕は中国人として沖縄がかつて、(日本・中国への)両属関係をもったということで、強引に琉球というのは、中華帝国の一部であると主張し、琉球独立論を唱えるつもりは全然ない。」とも述べており、「琉球民族は民族として存在し、また琉球王国も歴史的に存在したのは史実でしょう。それをふまえて日本民族、日本国家の統合を主張しても、べつにおかしくない」と述べている(*6)。
 筆者も基本的に同意見であり、上にも述べたように日本民族は大和・琉球・アイヌの三者で構成されると考える。
 沖縄人は、たとえ「聞いていて分からない」と言っても「日本語の方言」を話す日本人だと言う向きもある(「日琉同祖」)一方、琉球語は「日本語と同系(同語族)であるが別言語である」(*7) と考える向きもある。しかし、その言語が「方言」か「外国語」であるかを決めるのは、当事者の意識の問題なのである。中国語の方言のように、聞いていても全く分からない言語どうしでも、同じ中国語と意識される場合もあれば、聞いていて十分、意志を疎通し合える関係の言語同士であっても、別言語とされている例は世界的にはいくらでもある。
 琉球語を単なる大和語の一支と見る考え方は慎むべきであろう。琉球民族は形成に当たって、確かに平仮名に代表される大和文化の影響を受けたのであるが、それと共に深く中国文化の影響を受け、大和とはまた違った文化的統一体が形成されたのであり、やはり中国文化との関連において、大和と対等の存在と考えるべきだろう。共に中国文明の伝播によって、一定地域の種々の要素が凝集されて、国家・民族・文化の形成を見たのである。

 はっきり言って、日本政府筋などは琉球人が大和とは違った文化的伝統を持った人々であることを重々承知の上、「同じ日本人だ」と言い繕って、基地負担を押しつけるという実質差別を行っているのではないのか。少なくとも、あのような基地負担は、本土とは違った歴史的文化的背景のある沖縄にしか押しつけられないことである。一昨年の本土警官による「シナ人」「土人」発言を見るに付け、実は政府筋の人間は、琉球人を「中国の少数民族」としか見ていないのではないかと思ったりする。
 そもそも、明治初年の日清の力関係、戦後のアメリカの動向(*8)によっては、沖縄が今頃、中国・琉球民族自治区になっていても、おかしくないのである。こんなことを言えば、あれこれ言う人が出てきそうだが、少なくとも、日本に付くか、中国に付くか、独立するかの決定権は琉球人が持っているのである。だいたい、米軍や自衛隊の基地などを撤去して、観光施設などを作って中国人観光客などを誘致した方が、補助金に頼るより、沖縄の経済は発展するのではないだろうか。
 それにしても、昨今の米軍基地問題と、それに対する日本政府の対応を見るに付け、沖縄の人々の間に「本土の人間(ヤマトンチュ)」とは違ったアイデンティティを求める声が出てくるのは必定のように思えるし、こうなっても沖縄の人々を日本に引き留めるためには、彼らを大和族とは違った文化的伝統を持った存在として(大和族とは対等の一つの民族として)承認し、その地位を保障していくほかはない。
 そして、「地位保障」の実質的な内容は、沖縄の基地問題の解決=実質、日本からの大部分の在日米軍基地の撤去しかないと思う。(トランプさんの望むところかもしれないが。沖縄の海兵隊など、日本政府が引き留めなかったら、遠からずアメリカの都合で出て行くのではなかろうか。)
 岩波文庫の問題で言えば、『おもろさうし』のような琉球の古典を『ユーカラ』とは違い、「黄」(日本古典文学)に分類している。よろしく、『ユーカラ』も、「黄」に分類するか、共に日本少数民族文学として、新しい色の分類を作るべきである。
 以上、政論のようになってしまったが、事の問題上、一定やむを得ないと思う。
(*1) (*5) 橋本萬太郎編『民族の世界史5 漢民族と中国社会』(山川出版社 1983年)終章、座談会「現代の漢民族」より。
(*2) 網野善彦『東国と西国、華北と華南』(1992年)、『網野善彦著作集第十五巻』(岩波書店 2007年)所収。なお、網野は同書において、上の戴國輝の発言を批判的に紹介している。
(*3) 網野善彦『「日本」とは何か』(2000年)、『網野善彦著作集第十七巻』(岩波書店 2008年)所収。
(*4) 拙文『日本国号は中国起源という問題に関連して
(*6) ウィキペディア『児玉作左衛門』
(*7) 筆者は、これを「日本語族」ではなく、「大和・琉球語族」と呼ぶべきだと思う。
 なお、言語学者・橋本萬太郎は「言語の方からみたら――とくに発音の組織の面に限っていうと、沖縄のことばは、日本語じゃありませんね。日本全国の方言をみてみると、あそこだけしかないものが、あるわけです。しかも、その特徴は全部、大陸の、なかでも沖縄と相むかいになった長江(揚子江)下流域の言語だけと共有しているわけなんですよ。」(橋本萬太郎編『民族の世界史5 漢民族と中国社会』山川出版社 1983年終章『座談会「現代の漢民族」』)と述べている。
 琉球語、しいては琉球民族の形成について、有益な示唆を与える指摘であると考える。
(*8) 筆者の友人の中華人民共和国出身者は、「アメリカが沖縄を日本に返還したのは、中国で共産党が蒋介石に勝ったからであり、もし蒋介石が勝っていたら、中国に返しただろう。」という見方を披露したことがある。なお、その友人は別に中国による沖縄の領有を主張しているわけではない。
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タイトル 日 時
サイト「子欲居的東アジア世界」の基本テーゼ(4)
4 日本列島は古来からの多民族地域である  日本列島(現日本国の領域)は古来からの多民族地域であり、近代の直前においては、大和・琉球・アイヌの三族が形成されており、この状況は現在も基本的に変わっていない。日本民族とは大和族だけを指すのではなく、琉球・アイヌなどを含んだ列島諸民族の総称とするべきである。  古くから統一され形成されていたと考えられてきた大和族にしても、「関東方言・関西方言・北奥方言・九州鹿児島方言など、それぞれヨーロッパへ持って行ったら別々の国語だ。」(金田一春彦『日本語新版(... ...続きを見る

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2018/01/13 23:31
サイト「子欲居的東アジア世界」の基本テーゼ(3)
3 中国のウルトラ多様性と、その日本など周辺への伝播  「日本人は色々なところから来たのであり、別に中国だけではない。」と主張する向きがある。筆者の主張するところは、そのような色々な要素が凝集されて日本が形成されるには、中国漢字文明が「にがり」として必要であったと言うことであるが、そもそも日本文化の中の色々な要素というものは、色々な所から来たと言うより、中国大陸の色々な要素が渡来したものと言うべきである。  大体、我々がイメージするような巨大中国国家、巨大漢民族が初歩的に形成されたのは秦の始... ...続きを見る

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2018/01/13 18:14
サイト「子欲居的東アジア世界」の基本テーゼ(2)
2 日本文化はじめ東アジア諸国の文化は、中国漢字文明によって形成された  内藤湖南の言葉を借りれば、「日本」の種子のようなものが、中国文明の影響の及ぶ前からあって、その種子が中国文明を養分として発展したのではない。列島上に存在した様々な成分が、中国文明という「にがり」によって徐々に凝集されていって、今に続く「日本」を形成したのである。  中国文明という表現が嫌なら漢字文明と言ってもいいが、その漢字文明が中心から周辺へと波及していき、それが「にがり」となって、東アジア地域の諸文化を凝集していっ... ...続きを見る

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2018/01/13 15:00
サイト「子欲居的東アジア世界」の基本テーゼ(1)
1 日本、中国、朝鮮の前近代史は東アジア世界史として叙述されるべきである  東アジアにおいても、現在の中国、朝鮮、越南、日本のような国家・民族の枠組みが有効になってくるのは、せいぜい近代の直前においてであり、それまでの東アジア諸国の歴史は、現在の国家の枠組みを取り払った東アジア世界史という枠組みでないと理解は難しい。  現に、高句麗のように中朝の国境にまたがり、中国、朝鮮・韓国それぞれが自国史の構成要素と主張する国家もあれば、朝鮮・韓国側がそれを認めないとしても、倭国が一時期、朝鮮半島南部を... ...続きを見る

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2018/01/13 05:21
日本民族の形成(2) 日本民族の構成要素 アイヌ人は日本人ではないのか!
 いささか脱線したかもしれないが、やはり日本国で最大多数を占める民族の名称については、これくらいの議論が必要なのだろう。  もっとも、大和族のみを日本民族(日本人)と見る見方は依然として根強く、むしろこっちの方が「日本人の常識」といった感がある。有名なところで、天下の岩波文庫がアイヌ民族の叙事詩である『ユーカラ』を「赤帯」(外国文学)に分類しているし、上の戴國輝の発言も、「アイヌ民族を日本民族の中に入れない」日本人アイヌ研究者に対して行われたものであり、戴國輝はその研究者に対し、「いま先生の話... ...続きを見る

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2018/01/11 19:24
日本民族の形成(2) 日本民族の構成要素 「大和族」との名称について
 まず、日本が多民族国家であると言うことは当然の前提であり、将来的には日本籍取得の韓国朝鮮人、中国人などのことも考えていかねばならないのだが、特に前者の場合、「各種の歴史的経緯」の一言では済まされない重い問題を抱えており、ここでは触れないで置く。日本社会が本当に過去の経緯を反省して彼らに接することがない以上、彼らの大多数は日本国籍を選択することはないだろうと思われる。  少なくとも、近代以前に日本列島(というか現在の日本国の境域)に居住していたのは、大和族・琉球族・アイヌ族の三者である。なお、... ...続きを見る

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2018/01/09 20:53
日本民族の形成(1) 私の問題意識
 「網野史学」で名高い網野善彦の著作を色々と読んできて、色々と教えられることは多かったのだが、もう一つしっくりしないところがある。このように思っていたのは、別に筆者だけではなかったようで、古い毎日新聞の切り抜きの中の「日本は単一民族国家で統一国家が古くからあるという通説を壊そうとしている。一応は分かるのだけれど、壊した後のイメージがはっきりしません。壊すことに目的があるのでしょうか」という一節(*1)に、ラインマーカーを引いていたのを最近、見つけ出した。そう、従来のイメージは壊されたのだけれど、... ...続きを見る

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2018/01/08 10:40
日本人の起源は中国
 日本人というのは、元々は中国大陸に居住していた人間であり、それが日本列島に渡来して日本人になったと言っても、過言ではないのではないだろうか? このようなことを言うと、「いや、中国だけではない。南方、北方と色んな所から来たのだ」と反発する向きもあるだろうが、ここで注意を喚起しなければならないのは、中国というものの多様性である。 ...続きを見る

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2017/12/28 17:23
和歌を初めて作ったのは中国人?
 和歌を初めて作ったのは渡来中国人だという説がある。東洋史学者だという岡田英弘の主張で、彼の著作『日本史の誕生』から、関連する記述を引用してみると、 ・『古今集』の序で紀貫之が言っているではないか。和歌の開祖は「なにはづに さくやこのはな ふゆごもり いまをはるべと さくやこのはな」の作者、華僑の王仁だと。(同書P36 ・文化的に中国系でなきゃ和歌がよめるはずがない。だいたい、五七調そのものが中国の南北朝の楽府の長短句のまねだ。(同書P250)  王仁(わに)というのは、いわゆる「応神天皇... ...続きを見る

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2017/12/27 20:20
初期人類の社会構造について
 初期人類が群れ内部の争いを解消できたのは、いわゆる人類学者が主張するような一夫一婦の採用ではなく、集団婚(多夫多妻)の結果である。 ...続きを見る

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2017/12/23 19:15
日本語の成立に決定的な影響を与えたのは中国語(漢語・漢文)である
 日本語が漢文の翻訳作業の結果、形成された言語であることは間違いない。一般に、漢語・漢文の渡来以前から、日本列島には立派な日本語でなくても倭語があり、それを駆使する日本人(倭人)が、自己の言語を表記する手段として漢字を取り入れたのだと考えられている。  しかし、当時の列島と中国との圧倒的な文明差を考えたらならば、それは眉唾と言うほかはない。実際、日本語は数字の数え方自体、中国語のそれを採用しており、漢語・漢文到来以前には、20より上の数を示す言葉さえなかったと考えられるからである。(拙文『日本... ...続きを見る

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2017/11/27 21:56
人類進化における労働の役割 〜昨今の一般向け人類進化解説本から〜
 今回、読了した『人類進化の秘密が分かる本』(科学雑学研究倶楽部著 学研プラス、2016年4月5日)、これはコンビニで購入した一般向けの本であるが、現在日本社会で発行されるこの手の書籍は、エンゲルスの指摘した人類進化における労働の役割を否定することに余念がない。  例えば、この本は約300万年前に生存したアウストラロピテクスの女性(愛称「ルーシー」)について次のように述べる。  「ルーシーの頭骨はチンパンジーなどのサルに近いのですが、骨盤は人類に近いものでした。つまり、脳が未発達なころから二... ...続きを見る

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2016/11/23 23:51
我が国における火葬と土葬
 約2年ぶりにブログに記事を書くことにする。 ...続きを見る

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2013/05/20 00:28
日本の現行硬貨を知ろう
日本の現行硬貨を知ろう  まず、外国の硬貨を紹介する前に、日本の硬貨について、おさらいしておきましょう。  現在、発行されている硬貨は次の6種です。 ...続きを見る

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2011/01/17 01:00
近頃、コイン収集に凝っています(再掲)
近頃、コイン収集に凝っています(再掲)  ※2010年11月25日の記事を誤って消してしまったので、キャッシャから復元します。 ...続きを見る

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2011/01/16 23:46
中国の現行コイン(1)
中国の現行コイン(1)  80年代以前に中国に行かれた方なら、よくご存知の5分・2分・1分の3種のアルミ貨(多分、1円玉と同じでアルミニウム100%)です。2000年に行った頃には、まだ流通していましたが、近ごろ、5分は見かけても、2分・1分はほとんど見かけないそうです。 ...続きを見る

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2011/01/16 22:13
小沢一郎の「陰謀」 外堀埋められる現行移設案
 民主党の小沢一郎幹事長は「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について「辺野古の環境はすばらしい。きれいな海を埋め立てたらダメだ」と述べ、日米合意に基づく米軍キャンプ・シュワブ沿岸部(沖縄県名護市辺野古)移設の現行計画に否定的な見解を示した。」という。 ...続きを見る

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2009/12/31 00:55
「アジア人の遺伝的多様性と東アジア人の起源」について
「アジア人の遺伝的多様性と東アジア人の起源」について お久しぶりです。最初、コメントをと思ったのですが、長文になりそうなのでトラックバックを付けます。 ...続きを見る

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2009/12/12 09:26
中国内陸部にローマ人村 2000年前の遠征軍の子孫 観光で村おこし
 産経新聞に、タイトルと同名の記事が掲載されました。 ...続きを見る

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2009/03/29 20:45
「日本」なる国号について
 私は本ブログやホームページの記事において、日本語の数字の数え方が、中国語(厳密には古代中国語)のそれを採用したものであることを何度も指摘してきたが(専門家に言わせれば「今更何を」という問題であるかもしれないが、現在日本人でこれを認識している人は決して多くはない)、今回は数字の数え方だけでなく、国号も中国語であること、正確には国号も漢式に発音していることを指摘したい。 ...続きを見る

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2009/03/21 01:35
「支那」呼称問題:サーチナの記事はレベルが低すぎる
 Yahoo!ニュースの中国トピックスには、中国関連ニュースの配信元として、「レコードチャイナ」とともに、サーチナの記事がよく載り、筆者もよく参考にさせてもらっている。 ...続きを見る

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2009/03/20 17:38
竹島(独島)問題の解決法
竹島(独島)問題の解決法  報道によれば、韓国と日本は9日にソウルで第10回排他的経済水域(EEZ)境界画定交渉を行い、両国間の海上境界画定方法を話し合ったが、議論が平行線をたどり合意に至らなかった。という。 ...続きを見る

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2009/03/12 00:30
中国からの略奪銅像:フランス人も人の子か?
中国からの略奪銅像:フランス人も人の子か?  報道によると、清朝末期に北京・円明園から略奪された動物像が競売にかけられた問題で、フランス人の8割以上が「中国に返還すべき」と思っていることが分かった。という。 ...続きを見る

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2009/03/09 00:07
中国からの略奪銅像=支払い拒否で競売「阻止」
 報道によると、中国清朝の離宮、北京の「円明園」から英仏連合軍に略奪された「十ニ支動物像」のネズミとウサギ像が、パリで競売にかけられた問題で、中国国営の新華社通信は2日、落札したのは中国人であると報じた。という。  なお、上記報道に引用するところのロイター通信によると、略奪品の落札者は2日、北京で記者会見し、「(競売で)落札した金を支払うことはできない」と話した。落札者は、略奪品を取り戻すための基金の顧問だと語っている。  別報道によると、今後の進展は不明だが、競売を事実上阻止したことになる... ...続きを見る

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2009/03/03 00:02
今日は「建国記念の日」
 決して「建国記念日」ではありません。 ...続きを見る

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2009/02/11 17:09
日清戦争異聞(原田重吉の夢)
 購読している毎日新聞の記事から、萩原朔太郎の表題のような小品があることを知り、早速、Yahoo!で検索し、青空文庫中の作品を見つけた。興味深いのでここにリンクしておく。 ...続きを見る

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2009/01/30 23:16
オーストロネシア(南島)語族の起源地
オーストロネシア(南島)語族の起源地 「太平洋への人類の拡散」について  長文になるのでトラックバックにさせていただきます。  私の発言の根拠は、橋本萬太郎・鈴木秀夫「漢字文化圏の形成」(山川出版社 『民族の世界史5 漢民族と中国世界』所収)で、当該部分は鈴木秀夫氏が書いたものと思われます。 ...続きを見る

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2009/01/27 19:59
中国語の零(ゼロ)について
「中国語の数の数え方・続」について  以前、日本語の数の数え方は、基本的には中国語のそれを採用したものだが、現代中国語と日本語の数の数え方の最大の違いとして、中国語では零(ゼロ)を頻繁に用いることを挙げた。 ...続きを見る

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2009/01/19 00:15
第3次国共合作は進みつつある
「毛沢東は国民党員だった?!」について  まだ、この記事の方が、ことの本質をついた報道をしていると思う。以下引用、 ...続きを見る

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2009/01/12 00:06
毛沢東は国民党員だった?!
 報道によると、中国国民党が台北市内で行なった資料展示会「3世紀にわたって――中国国民党の“変”と“不変”」で、中国共産党の毛沢東主席の初期の草稿や給料支払い決算書が公開された。という。  それによると、共産党の創立メンバーで後に主席となる毛沢東は第一次国共合作中の1924年、国民党上海執行部で秘書を務めていた。給料支払決算書(写真)は1924年3月付で、毎月120元が支払われていた。 ...続きを見る

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2009/01/08 23:23
日本語は孤立した言語か?
 よく、日本語は世界に同系語を見ない「孤立した言語」であると言われたりする。 ...続きを見る

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2008/12/30 02:38
平和ボケの平成右翼
「石破茂元防相の田母神事件評」について  近頃の右翼は、軍事のことも分からないで、人を「平和ボケ」などと罵倒しているが、一番「平和ボケ」して軍事のこともほとんど分かっていないのは、現在の平成右翼ではないだろうか。  実際、上記記事のコメントを読んで思うのだが、例えば「帝国陸軍主計課」、確かに名称は正確ではないが、少し事情の分かった人なら、これが旧軍のどこの部局に属していたかなどということは、ほぼ自明のことである。  このコメントを付けた人などは、「主計」という言葉の本当の意味がどうも分から... ...続きを見る

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2008/12/29 07:45
旧チベットの人骨製の笛
 事実上、ネット右翼の「活躍」の場になっているので、私にとっては非常にうっとうしいことであるが、Yahoo!ニュースには読者コメント欄が出来ている。  もっとも、「うっとうしい」と言っても、中には何らかの参考になるコメントもある。例えば、私が先日引用した記事には、「この掲示板ではね、中国人が『チベット人は人骨で笛を作った』などと繰り返し投稿しているんですよ。」という読者の書き込みがあった。 ...続きを見る

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2008/05/17 11:09
中国・バチカン国交樹立の世界史的意味
 思うに、従来のバチカンと中国の対立というのは、「宗教vs共産主義」という図式で語られることが多かったと思うが、中国は基本的に宗教信仰の自由を認めており、バチカンと国交を結ばなかったのは、国内のカトリック教会が(そのローマ法王を頂点とする独自システムによって)バチカンという外国に統制されることを拒否したからである。具体的には、中国はバチカンが各国の司教を任命するという既存システムを拒否し、司教を中国の教徒が選ぶことを主張してきた。 ...続きを見る

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2008/05/12 06:54
「靖国」を非合法化せよ!
 映画「靖国」がニュースの話題となっている。  しかし、映画はともかくとして、A級戦犯7名を合祀している靖国神社を日本はなぜ非合法としないのだろうか。かの、オウム真理教でさえ、破防法が適用されていない日本国の国制があるにしろ、筆者などはA級戦犯を合祀する宗教法人など非合法化されて当然だと考える。 ...続きを見る

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2008/05/04 00:40
近現代日本「40年節目」説
 昔、新聞か何かで、「近代日本は40年ごとに節目(転換点)を迎えている」という論を読んだことがある。いわく、1865年:開国、1905年:日露戦争勝利、1945年:「終戦」と。  今から思えば、中曽根政権下の1985年も日本の大きな節目だったことはほぼ間違いないと思う。以来、一時、日本は「バブル」に浮かれながらも、決していい方向には進んで来なかったと思う。  1985年から既に23年が経過した。次の40年の節目である2025年まで、後17年である。2025年、果たして日本はどうなっているのだ... ...続きを見る

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2008/04/29 22:42
欧米の没落:フランスの北京五輪開会式ボイコットに思う
 フランスが、チベット問題に関する三条件の要求(ダライ・ラマとの無条件の対話など)を中国が呑まなければ、サルコジ大統領の北京五輪開会式出席をボイコットすると言っている。  しかし、現実問題として、もはやフランスなどのボイコットにどれほどの意味があるかというと、はなはだ疑問である。 ...続きを見る

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2008/04/07 06:40
祖父が中国人であった赤穂浪士
 以前、何かの本で『忠臣蔵』で有名な赤穂47士の中に、祖父が中国人である人物がいると読んだのだが、名前を忘れてしまった。もっとも、筆者は元々、47士の内、大石内蔵助ほか二三の名前しか知らなかったのだが。  先日、偶然ネット上で、その浪士の姓が武林であることを知り、ウィキペディアで調べてみた。すると、大したものである。「武林隆重」という人物が出てきたのである。 ...続きを見る

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2008/04/06 00:04
チベットが「独立国」だったという大ウソ その2
 先日紹介した毎日新聞(4月3日)の特集記事「検証 チベット暴動」の中には、チベットの歴史に触れた記事があった。注目すべき事は、清朝の統治や中華人民共和国の統治についてはそれなりに述べているのだが、中間の中華民国期については一切触れていないことである。  ダライ・ラマ側の主要な主張の一つに、「清朝滅亡後、チベットは独立国となったのに、中華人民共和国によって併合された」(中には清代においても、チベットは独立国であったというものまである)というものがあるが、上記・毎日新聞の記事は、さすがにこのよう... ...続きを見る

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2008/04/05 00:12
河口慧海著『チベット旅行記』
 近頃、これだけチベットが話題になっているのに、1900年から1902年(清末)、そして1913年から1915年(民国初年)の二回にわたって、チベットに潜行した日本人僧侶・河口慧海がなかなか話題に上らないのは筆者としては不思議である。  目下の日本の状況では、河口慧海の『チベット旅行記』は、現ダライ・ラマが亡命するまでチベットで施行されていた旧制度(現中国では「農奴制」とされているが、日本人の中には「奴隷制」だと言う人もいる)についてのかなり客観的な資料となることと思う。  ちなみに、講談社... ...続きを見る

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2008/03/31 00:05
チベットが「独立国」だったという大ウソ
 ネット上、例えばウィキペディアなどでチベットの歴史を調べようと思ってみても、なかなか客観的な資料が出てこない。例えば、「チベット」の項目など完全にダライ・ラマ派のプロパガンダとしか思えない。もっとも、「吐蕃王朝」、「ダライ・ラマ14世」などの記事は、まあ客観的な記述をしていたように思う。  結局、中国政府がチベットはじめ各少数民族を対等に遇し、その生活向上を図ると共に、文化習慣を尊重することによって、各少数民族は、例えば「自分はチベット人であると共に中国人である(中国人は漢人だけではない)」... ...続きを見る

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2008/03/25 00:03
満州族による清朝樹立の皮肉な結果
「清朝の位置づけと満漢関係」について  現在、中国にはチベット族自治区や新彊ウイグル族自治区、内モンゴル自治区、広西壮族自治区など、比較的人口の多い民族はそれぞれ自治区を有しているが、満族(満州族の現代中国での呼称)自治区というものはない。  それは、満州族が故地「満州」(現中国東北地方)を離れ、大挙して中国全土の支配に乗り出したからであり、結果として、中国東北地方と漢族居住地は一体化してしまった。  最初、清朝は「満州」を「自分たちの故地」として漢族の移住を禁止したようだが、北方ロシアの... ...続きを見る

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2008/03/22 01:29
ダライ・ラマ関連記事の訂正
「ダライラマは既に「チベットは中国の一部」と承認」について  上記の記事で、筆者は田中宇氏の記事などを引用し、「ダライ・ラマは既にチベット独立要求を放棄しており、後、中国政府との対話再開のネックとなっているのは、台湾独立に反対するかどうかの問題だ」というような意味のことを書いた。 ...続きを見る

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2008/03/21 18:11
清朝の位置づけと満漢関係
 清は中国最後の王朝であり、1911年まで続きました。清の時代に、現代の中国の領域が基本的に定まり、中華民国を経て現在の中華人民共和国に継承されていると考えられます。  清は満州族の征服王朝であり、漢族はモンゴル族やチベット族などと同じく、満州族に支配される側だったという見解がありますが、これは正確ではないと思います。 ...続きを見る

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2008/03/21 00:04
米英諜報機関による支援・扇動:チベット暴動(追記有り)
 まずは、田中宇氏の文章の引用から。  「チベット人による独立・自治拡大要求の運動は、中国共産党が政権を取った直後の1950年代から、冷戦の一環として米英の諜報機関が亡命チベット人を支援して持続させている、米英の諜報作戦でもある。その歴史から考えて、今回の騒乱も、北京五輪を成功させて大国になっていこうとする中国政府の戦略を壊そうとする、米英諜報機関の支援・扇動を受けて行われている可能性が大きい。」 ...続きを見る

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2008/03/20 12:34
そもそも中国とは、いかなる存在なのか?
 ラサでの暴動事件については、本日毎日新聞朝刊に出ていた記事は、既に『<チベット暴動>国外グループが関与…全人代常務副委員長』ぐらいであった。  中国側の報道に疑問を感じる人もいるかもしれないが、筆者としては現在ラサ入りを求めている西側マスコミが客観的な報道をするとも思えない。  そもそも、これを積極的にデマ発言と決めつけなくても、ラサを実効統治していない(よって正確な情報をつかむ能力さえない)、いわゆるチベット亡命「政府」の「発表」などをまともに報道してきたこと自体、そのマスコミの客観性を... ...続きを見る

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2008/03/20 11:09
初歩的なチベット前近代史
「「チベット」と「中国文明」の関係(3)」について  劉公嗣さんの記事本文よりも、記事に付せられたコメントも含めてトラックバックを付けさせていただく結果となりますが、正直言って、私もそんなにチベット問題について勉強しているわけではありません。  ただ「後にチベット族を形成したであろう民族」ではなく、現在につながるチベット族が基本的に形成されたのは、唐初のソンツェン・ガンポ王がチベット高原を統一し、都をラサに定め、吐蕃王朝を開いてからでしょう。  面白いことに、「伝説では吐蕃王室は中国遼東地... ...続きを見る

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2008/03/20 10:29
チベットと中国文明の関係について・最終版?
「「チベット」と「中国文明」の関係(2)」について  まず、トラックバックが遅くなって申し訳ありません。おそらく、私の方に関しては劉公嗣さんに対する最後のトラックバックになることと思います?  まず、チベットが太古から、といってもチベット族が歴史に現れる吐蕃の昔から、唐などの中国中央王朝に服属していたかというと、確かにそうとは言えないと思います。中央王朝に服属し、そのまま現在に至った時期は、ご指摘の通り、18世紀半ば、清代においてであると思います。  チベット独立派の中には、清滅亡後の中華... ...続きを見る

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2008/03/18 23:11
チベットと中国文明の関係について
「「チベット」と「中国文明」の関係」について  私も現在のラサの情勢においては、少なくとも劉公嗣さんとのやりとりにおいては、基本的に発言を控えさせていただきます。ただ、しばらくの間マスコミは騒ぎ立てたとしても、一ヶ月も立たないうちにほとんど沈黙してしまうだろうと思いますが。  ただ劉公嗣さんとのやりとりにおいては、基本的にチベットと「中国」との文化的関係にのみ絞って論じさせていただきたいと思います。 ...続きを見る

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2008/03/16 19:31
チベットと「中国」について
「「チベット」と「中国」について」について  死者数100人の根拠についてマスコミは「未確認情報」としており、本来マスコミで報道するような根拠を持った情報ではないと考えます。この問題ではっきり言えることは、事件が「非暴力」が「評価され」てノーベル「平和」賞を受賞したはずのダライラマ支持者による暴動以外の何ものでもないということであり、中国政府は催涙弾の使用と威嚇射撃を行ったことは認めたものの、暴徒に対する直接発砲は否定しており、死者10名も暴徒による放火などで巻き添えを食った市民としていますが... ...続きを見る

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2008/03/16 01:45
ダライラマは既に「チベットは中国の一部」と承認
「最近の「チベット」情勢と歴史問題」について ご参考までに、  ダライラマは既に「チベットの独立」という要求を取り下げているようです。例の田中宇の論文『改善しそうな日中関係』(2007年4月12日)から引用します。  (2007年)4月7日ダライラマは、インドのマスコミの取材に対し、「チベットは、中国からひどい統治を受けているものの、中国の一部で ある」と表明した。こうした表明が発せられたのは、中国政府が最近、チベットの独立要求を放棄するなら、ダライラマと交渉をしたい、と表明したことを受け... ...続きを見る

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2008/03/15 17:25
万世一系のまぼろし
「中野正志『万世一系のまぼろし』」について  余り学問的に見ると、自信がないというか、またぞや日本古代史に浩瀚な劉公嗣さんに論駁されそうですが、確かに古代におては母系の占める役割が強く、天皇なども男系相続されているように見えて、母系はあらゆる所に顔をのぞかせていると思います。  実際、日本で父系の天皇家というものが確立したのは、畏れ多くも今上陛下が美智子皇后という「平民」出身の方と家庭を持たれてからと言っても過言ではないのではないかと、筆者などは愚考します。  先帝陛下(昭和天皇)以前の天皇... ...続きを見る

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2008/03/11 18:23
再論:ハンニバルの象はどこから来たか?
 先日、Tとおっしゃる方から、本HPの記事(多分『海と陸 日本と雲南との違い』)について『突っ込んで起きましょう』との感想メールをいただいた。メールの趣旨は「海路は下手な陸続きの辺境部よりも、よほど開放的で、そのような人物をも含んだ文化がたやすく流入した」という筆者の観点に対する反論であった。  返事を返そうとしたのだが、先様の都合か、メールが全然届かない。もっとも、筆者などメール初心者だから、あまり「偉そう」なことは言えないが、結局、メールを届けられなかったので、ブログ上で見解を述べさせてい... ...続きを見る

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2008/02/24 00:10
数え年
 東アジア文化圏である中国、日本、朝鮮半島、ベトナムでは古来、「数え年」を用いていた。  つまり、1960年10月10日生まれの人の場合、生まれた時点で一歳、翌61年1月1日時点で2歳となり、今年2008年1月1日時点で、数え年のの49歳となる。  つまり、お正月には、一家全員が一歳年を取ることになり、中国などでは大晦日の晩などは終日眠ることなく、家族全員でお祝いしたという。  もっとも、今は上記東アジア文化圏でも満年齢が一般的であり、筆者にしても数え年というものがあることは知っていたが、... ...続きを見る

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2008/01/03 00:05
一日の始まり
 劉公嗣氏から貴重な情報をいただいた。  「バビロンやエジプトでは日本と同じく夜明けが、アラブやユダヤでは日没が一日の始まりとされていたよう」だという。  それにしても、アラブやユダヤで日没が一日の始まりとされたのは、やはり砂漠という自然条件のせいであろうか。日没と共に、酷暑が去り、活動が開始できる。  ユダヤ教から発生したキリスト教が日没を一日の開始としたのはうなづけるが、それではキリスト教以前のヨーロッパはどうだったのだろうか。古代ギリシアやローマ、ゲルマン人やケルト人はどうだったのだ... ...続きを見る

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2008/01/02 11:11
漢語(中国語)の起源3
南方系言語と北方系言語の融合  日本では、昨今、やたらと「長江文明」論を主張し、これをやたらと「黄河文明」と対立させようとする論者がいるが、かつて拙文でも述べたように、黄河流域と長江流域のいわゆる南北差異が基本的に形成されたのは、周代以降のことであり、それまでの商(殷)代までは、黄河流域もまた長江流域と同じ南方的状況が存在していたようである。  実際、橋本萬太郎などが主張するように、商代甲骨文からは、人名の場合、「祖甲」「父甲」といった名前が頻出し、地名でも、「丘商」、「丘雷」などの文字があ... ...続きを見る

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2007/11/26 00:01
東アジア北方諸言語の共通性について
 南方諸言語に対する東アジア北方諸言語の共通性についても、例えば一般にアルタイ諸語とされるツングース諸語(満州語など)、モンゴル諸語(モンゴル語、ブリヤート語など)、テュルク諸語(トルコ語、ウイグル語、カザフ語など)には筆者が紹介したような語順の共通性以外にも、膠着語であることなどの共通性がある。  しかし、上記3グループは基礎語彙が全く違うため、「アルタイ語族」としての共通性を否定する学者が多いという。  アルタイ語族の存在が否定された以上、一時主張された「ウラル・アルタイ語族」なるものの... ...続きを見る

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2007/11/25 08:25
東アジア南方諸言語の共通性は何によるものか?
 本来なら、『漢語(中国語)の起源3』を掲載しなければならないのだが、どうも以前、本ホームページ『子欲居的東アジア世界』に掲載している拙文『東アジアの北方系言語と南方系言語、及び両者の混合による漢語の形成』の焼き直し、よくて改訂版以上のものにならないと思うので、非常に身勝手な話であるが、関連する思いつきをしばらくメモ式に書かせてもらう。  拙文『漢語(中国語)の起源1』でも書いた東アジア南方諸言語の語族の違いを越えた文法的共通性は、言語学で言う「地域特性」(「言語連合」)によるものだと考えられ... ...続きを見る

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2007/11/24 02:15
「小説」について
「中国文学史について」について はじめまして、刑部少輔さん  ご質問の件ですが、トラックバックを付けさせていただきます。  決して私の見解ではありませんが、一般に小説(刑部さんのおっしゃる「連続性のある『小説』」?)というのは近代以降の産物であるという見解が強いように思います。  もちろん小説のようなものなら、近代以前でも、古代ローマでも、中世ヨーロッパでも、イスラム圏でも(『千夜一夜物語』など)、もちろん日本でも、中国でもありますが、これらは「近代小説」とは区別する観点が一般的です。 ... ...続きを見る

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2007/11/16 00:29
漢語(中国語)の起源2
漢語の特異性  しかるに、漢語(中国語)は名詞句は北方系言語のような逆行構造であるのに対し、動詞句は南方系言語のような順行構造であり、両者が一致しておらず、東アジアの言語において(おそらく世界の言語においても)非常に特異な構造を持っているという。  例えば、名詞句は「美服」「大国」など、東アジア北方系言語のように修飾語が被修飾語の前に来る逆行構造である。現代中国語においても、「美麗的衣服」(美しい衣服)「偉大的国家」(偉大な国家)とこの点は変わらない。  いささか古い例になるが、ロシア語の... ...続きを見る

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2007/11/13 22:10
漢語(中国語)の起源1
東アジアの北方系言語と南方系言語  ある論者に言わせると、「漢語」(中国語)は非常に特異な言語であるという。  例えば、中国北方には、満州語、モンゴル語、ウイグル語などのいわゆるアルタイ諸語が中国国境を越えて広がっており、これら北方系言語は、言語構造的に、名詞句も動詞句も「逆行構造」で一致しているという。  つまり、日本語のように、名詞句の場合、「美しい服」というように被修飾語は修飾語の後ろに来る。同じく、動詞句は「山に登る」のように、動詞は目的語の後に来る。  一方、中国南方には、タイ... ...続きを見る

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2007/11/12 00:03
歴史の弁証法・続
「歴史の弁証法」について  拙文に対する劉公嗣さんのコメントに対して、コメントを返そうとしたのですが、長文になることもあり、自分の記事に対するトラックバックの形にして新規に記事を設けさせてもらいました。  確かに、日本のマルクス主義史学?を自称する学者の中などにも、中世「封建制」段階を経た西欧と日本のみで近代化が可能になったのだと主張する向きがあります。しかし、彼らの主張は基本的に、西欧・日本先進論で、どんなに華やかな文明を誇ろうとも、中世段階に移行できなかった中国やイスラムは「アジア的専制... ...続きを見る

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2007/11/10 17:37
現代中国語のアルタイ語化の一例、動詞後置文の増加
 先日の記事でも述べたように、「我到学校去。」(私は学校へ行く)と「学校」という目的語の後ろに付けられた「去」は元来、動詞であるが、この例文では「補語」とされている。  しかし、この例文はさておいて、実際に動詞が目的語の後に置かれるような現代中国語は初級テキストにも見られるのである。  例えば、「我ba空調打開。」(baは手偏に巴。私はエアコンを付けた。)  この文の場合、「ba」は前置詞とされ、動詞は「打開」であり、「空調」という目的語の後に置かれている。  もちろん、「伝統的」に「我... ...続きを見る

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2007/11/06 06:30
中国語のアルタイ語化と補語
 拙文『東アジアの北方系言語と南方系言語、及び両者の混合による漢語の形成』の記述において、筆者は誤りがあったことを告白する。  筆者は、「我到学校去」(私は学校へ行く)という中国語を解説して、学生時代のうろ覚えの知識で、目的語(この場合は学校)の前に置かれた「到」を「補語」であると書いた。  しかし、現代中国語文法において、補語とされるのは、「学校」の後ろに置かれている「去」であり、動詞はあくまで目的語の前に置かれる「到」だったのである。  ただ、品詞分類は何であれ、「去」のような本来、動... ...続きを見る

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2007/11/04 00:53
発情期の消滅こそが人間の衣服の起源である
「人間はいつ頃から衣服をまといだしたのか?」について  人間が動物段階から進化してきたことを承認する以上、人間あるいは人間直系の祖先にも 当初は、動物と同じような発情期が残っていたことは確実であろう。  人間がアダムとイブではないが、衣服をまとい、隠すべき所を隠し出したというのは、人間が他の動物のような発情期をなくしてしまったことを示す証左に他ならない。  人間が発情期をなくしてしまったのも、労働の結果による大脳の発達によるところが大きいと思う。一つは、快楽行為にかまけて、自己の生存をも危... ...続きを見る

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2007/10/31 00:10
歴史の弁証法
 中国が近代で立ち後れ、資本主義を発展させられなかったことの原因を、その前段階(いわゆる中世・近世社会)の未発達に置く見解は古くから存在した。それに対し、ヨーロッパや日本で資本主義が発達したのは、その前段階が発達していたからだという見解である。  しかし、どう考えても、江戸時代とほぼ同時期の清代とを比べれば、中国の社会の方が進んでいるし、明末清初に中国を訪れた西洋人の目からしても、中国社会は当時の欧州社会より進んだ社会と見えたようであるし、実際、そうだったろう。  ちなみに、19世紀中頃にイ... ...続きを見る

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2007/10/30 00:02
中国語の数の数え方・続
 日中の数字の数え方の最大の違いは、現在の中国語において、0を意味する零(リン)を多用することである。  例えば、301などは、中国語では「三百零一」と言い、日本語のように「三百一」とは言わない、もし中国語で「三百一」と言えば、310のことになるという。同じく3002は「三千零二」と言って、「三千二」とは言わない。この調子で、3020は「三千零二十」、3201は「三千両百零一」、30001は「三万零一」である。  これには、筆者も少し驚いた。25年前、一度習ったと言っても、こういう身近なこと... ...続きを見る

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2007/10/29 00:38
中国語の数の数え方
 筆者は、拙文『日本語の数の数え方』で、日本語の数字の数え方は、中国式というか漢式のそれを採用したものであり、日中の数字の数え方は基本的に一緒であると述べたが、やはり微妙な違いが現代の両国語には存在している。  筆者は、前の文章では、「二」のかわりに各所で「両」(リャン)を用いることを挙げたが(例えば20は日中同じく二十であるが、200、2000になると中国語では両百リャンパイ、両千リャンチェンになる)、相違点は他にもいくつかある。  まず、日本語なら100、1000を通常、百、千、150、... ...続きを見る

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2007/10/29 00:02
漢語(いわゆる中国語)、漢族は中国歴史上の一定段階の産物である
 中国語と漢語との関係を実際の話者に合わせると、中国人あるいは中華民族というのは、決して漢族だけのことをいうのではなく、他の55の少数民族も全て中国人であり、中華民族ということである。  実際、中国の歴史を考えるならば、漢族しいては漢語(一般に言われる中国語)は決して中国歴史の最初から存在していたものではなく、歴史の一定段階で形成されたことが分かるのであり、漢語(中国語)の起源という問題は漢族の起源の問題でもある。  ちなみに、原漢族とも言うべき華夏族が形成されたのは周代であり、おそらくは北... ...続きを見る

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2007/10/23 00:11
中国語か漢語か
 今回、話(思考角度)を少し変えるが、筆者が25年前に中国語を習った時は、中国語のことは(中国語で)「中文」(チョンウェン)ということが多かったが、現在習ってみると、「漢語」(ハンイー)と称されることが多くなっている。  実際、中国は漢民族以外にも55の少数民族を有する一大多民族国家であり、漢族含めて56民族の言語すべてが中国語なのであり、我々が一般に中国語と呼び習わしているものは、多民族国家たる中国の一漢民族の言語にすぎないのであり、本来、「漢語」と称されるべき言語なのである。  筆者も本... ...続きを見る

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2007/10/22 00:10
まじめな中国語の起源に向けて5
 孤立語であることや声調があることは、「言語系統」上の問題ではなく、「地域的特性」であるという見解がある。  実際、東アジア南方諸言語は、「語族」の違いを越えて、顕著な類似性を示している。孤立語であることや、動詞が目的語の前に来ることなどで、これらの語群は類似している。おそらく、中国南方には、太古、多くの諸民族が居住し、様々な言語が話されていたのであろうが、上記に述べたような性質において一致点を見せていたものと思われる。  同じく中国の北方にも、多くの民族が居住していたのだが、これらの民族は... ...続きを見る

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2007/10/21 00:04
まじめな中国語の起源に向けて4
 正直言うと、もっと本を読んで基本的なことをしっかりと勉強しなければ、この問題はなかなか論じられないと思うようになってきた。  ただ、今、思っていることは、最初、絵文字しいては象形文字として出現した文字が、エジプトなどでは早い時期に表音文字化されたのに対し、漢字が表意文字(表語文字)として発展したのはやはり中国語の特質によるものが大きいと思う。  すなわち中国語は、一音節が一語となり、一つの意味を表す言語、つまり「孤立語」である。こういう中国語の特質がなければ、漢字は早期に表音文字化したか、... ...続きを見る

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2007/10/20 02:09
まじめな中国語の起源に向けて3
 ここで、発想を変えて、中国語も話し言葉であることを承認する。そもそも、中国の文盲率が極度に下がりだしたのは、中華人民共和国成立以後のことであり、歴史上、多くの中国人が漢字などほとんど知らずに中国語をしゃべってきたのである。  過去の中国語を探索するには漢字で書かれた文献を検討するほかないのであるが、ここで漢字の「呪縛」からひとまず離れ、日本語とは逆に、たとえ漢字を使用していなくても、中国語と同じような言語はこの世に存在しないのかという問題について考えてみたい。  ちなみに、中国北方には蒙古... ...続きを見る

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2007/10/18 00:01
まじめな中国語の起源に向けて2
 「まじめな中国語の起源」を論ずる前に、まずなぜ筆者が一時的にせよ、そのような妄想を抱いてしまったのか、その原因について分析を加えてみたい。 1.筆者が日本語を母国語としている日本人であること  現在において、漢字を使用しているのは、中国語をのぞけば日本語だけである。そのくせ、日本語と中国語は全く「別の」言語である。  ※もちろん、これは日本語に対する中国語の影響を否定するものではない。筆者などはむしろ、日本語は中国語の影響(中国語に対する反発も含む)によって形成された言語であると考えてい... ...続きを見る

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2007/10/17 00:11
まじめな中国語の起源に向けて1
 名前が悪かったのか、筆者が14日にアップした『妄想的中国語の起源』の参照数はお寒い限りである。もっとも、自分で最初から「トンデモ」と断っているような記事を読むほど、暇な人もいないだろう。  『妄想的中国語の起源』を書いた以上、記事でも言及したとおり、今度は『まじめな中国語の起源』を書かねばならないのだが、ちょっとした文章を書くにしても、やはりタネ本にきっちりと当たらねばならないのだが、これを行う気力が今の筆者にはなかなか出ないのである。  ただ、一言言いたいことは、「真理は誤謬との闘争によ... ...続きを見る

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2007/10/17 00:11
妄想的中国語の起源
 「中国語の起源」などとエラそうな題名を付けたが、はっきり言って、余り根拠のある話ではなく、筆者が何冊かの本を読んで、もしかしたらこうなのではないかと思いついた妄想に過ぎない。  以下、箇条書きで書いていく。  1.一般に言語はまず、話し言葉が先にあって、しかる後に文字が出来、書き言葉が出来たものとされる。しかし、中国語の場合、むしろ先にあったのは象形文字から発達した漢字、しいては漢文という書き言葉ではなかったのだろうか? 2.漢字・漢文というものも、実際に当時の話し言葉を記述したものと言... ...続きを見る

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2007/10/14 08:09
ヒト科に属していても、いまだ人間とは言えない種が存在する
「猿人・原人・旧人・新人という日本語訳の問題について」について  私の方ももっとはっきり書いた方がよかったのかもしれませんが、私の言いたいことは次のことにつきます。  どうも、ラテン語学名やその中国語翻訳名を見ている限り、欧米や中国の学界には、たとえヒト科に属していてもまだ動物段階の猿(たとえそれが現生人類につながる祖先であるとしても)と人間とをきっちり区別する世界観が存在しているが、日本の学界にはその点を区別する世界観がないのではないか、ということです。  実際、アウストラロピテクスはヒ... ...続きを見る

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2007/10/13 00:32
中国語翻訳名から考える古人類学観の相違
 劉公嗣氏の指摘をいただいて、記事のネタにと一文を思いついたのだが、劉公嗣氏のように古人類学などほとんど勉強していない筆者が若干の読み覚えをもとにこのような文章を書くのは、やはり僭越とのそしりを免れないかもしれない。  筆者も、かつて中国語の歴史関係の本を見て、日本で言われる「北京原人」が「北京猿人」などと書かれているのを見て、違和感を感じたことを覚えている。  しかし、この頃思うことは「原人」との用語が、少なくともいわゆる「ジャワ原人」やほぼ同種とされる「北京原人」に用いられるのは、やはり... ...続きを見る

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2007/10/08 00:03
「カナリア諸島のグアンチェス族」について
「『イリヤッド』の検証・・・89話〜97話」について  ご参考になるかどうか分かりませんが、グアンチェス族について興味深い記述を発見しました。以下、翻訳引用します。  「欧州先史人類クロマニョン人の一系列に関係している。約130万人(1978)。体質特徴は、南欧人種と似ている(略)。その先民は太古、中欧、南欧から北アフリカを経て現在の居住地に到った。15世紀、グアンチェス人の社会はまだ旧石器時代(段階)であったが、土器の制作と使用は知っていた。当時、スペインとポルトガルの植民者が相次いでカナ... ...続きを見る

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2007/10/07 00:04
今日は中国の国慶節(建国記念日)
 本日10月1日は、中華人民共和国の国慶節、つまり建国記念日である。筆者などが25年前、中国語を学習した際、確か北京放送の中国語初級会話というテキストを使っていたのだが、その中に、「一九四九年十月一日、毛主席在天安門城楼上、宣布了中華人民共和国成立。」(「1949年10月1日、毛沢東主席は天安門の楼上で、中華人民共和国の成立を宣言した。」)という一節があった。  1949年に中華人民共和国が成立したのだから、今年で中華人民共和国は建国58周年と言うことになる。当時のテキストの例文で言うと、「到... ...続きを見る

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2007/10/01 00:06
日中国交正常化35周年
 1972年9月29日、日中両国は共同声明を発表し、日中の国交正常化がなされた。昨日は、その35周年の記念日である。  1949年の中華人民共和国の建国にかかわらず、それまで、日本は台湾に逃れた蒋介石の「国民政府」を「中国の正統政府」として承認し、中華人民共和国を承認しない政策を取ってきたわけだが、こんな目茶苦茶がいつまでも続けられるわけはない。  71年の中国の国連復帰(同時に行われた台湾の国連機関からの追放)、更には72年のニクソン訪中による駐米和解などの情勢の中で、時の田中角栄総理が訪... ...続きを見る

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2007/09/30 17:29
「勉強」 漢字は同じでも日中両国語で意味が違うもの
 現代中国語にも、「勉強」という言葉はあるが、中国語には日本語のような「学習する」という意味はない。「勉強」は、現代中国語では「無理をする」という意味である。  大阪の商売人が「勉強させてもらいまっさ」と言う場合、それは「(無理をして)値段を負けさせてもらいます」という意味である。その点では、大阪弁の「勉強しまっさ」は現代中国語の「勉強」にニュアンスの近いものがあると思う。  案外、大阪圏というか西日本は、地理的に近い分、中国の影響が強いのであろうか?  そう言えば、大阪人がよく使う「ぜに... ...続きを見る

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2007/09/28 00:51
高句麗問題へのトラックバックへの回答・最終版
「高句麗論争についての雑感(3)」について  こんな言い方をするのも何ですが、正直言って、「高句麗問題」に言及したことを後悔しています。まあ、劉公嗣さんと色んな面で意見の違いがありますが、ある面では、私の認識の甘さと劉公嗣さんの指摘の正しさを認めざるを得ないとも思っています。  確かに、92年の中韓国交以来、中国と韓国の経済交流は進んでいますが、それとともに、色んな考え方の韓国人も中国東北部に入り、中国在住の朝鮮族に影響を与えようとしていることも事実でしょう。そんな人々の中に、高句麗の領域を理... ...続きを見る

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2007/02/12 07:24
高句麗問題へのトラックバックへの回答・続
「続・高句麗論争についての雑感」について  劉公嗣さんのトラックバックに対する再回答を行わせていただきます。  確かに、私の朝鮮史に関する観点というのは、韓国・北朝鮮の両国で非常な反発を受けるものと思います。というのも、私の観点は、朝鮮文化も日本文化と同様、中国文化の流入によって、一定時期に形成されたとするものですから、このような観点が朝鮮半島で、「なんとか聞いてもらえるだけ」でも、後半世紀は軽く必要かもしれません。  ただ、劉公嗣さんのおっしゃる「豊かで自由な統一朝鮮が実現した場合」ですが... ...続きを見る

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2007/02/10 21:30
「高句麗」問題へのトラックバックに対する回答
「高句麗論争についての雑感」について  劉公嗣さんから本ブログの記事について、トラックバックが付きましたが、それについて私見を述べさせていただきます。  まず、この問題についての私の観点は、現在の中国と韓国・朝鮮との間にまたがって存在した古代政権であった高句麗を、中国並びに韓国・朝鮮双方が、共に「自国の古代政権」と位置づけても何ら問題はないということに尽きます。  「韓国側の独り相撲」と主張したのは、韓国から中国に対して抗議はあったものの、中国からは韓国の高句麗についての歴史記述に対して特に... ...続きを見る

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2007/02/09 21:17
今、考えていること
ホームページをほぼ5年ぶりに再開して、既に2ヶ月以上が立った。今回、特に冬休みを利用して、日本文化の形成に果たした中国文化の役割や、非常に大まかな列島社会史の素描など、筆者が考えていたことは、非常に初歩的な形ではあるが、展開できたと思う。後、広く浅く、歴史問題等について考えることを書きたいのだが、筆者の性格上、次のまとまった休暇でも、活用しなければ、素描さえ書けないようである。  書きたいことは色々あるような気もするのだが、今、やはり書きたいのは中国文明、特に中国文明の成立についてである。ただ... ...続きを見る

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2007/02/09 20:58
鎖国前夜の帰化中国人
 討ち入りで有名な赤穂四十七士の内、祖父が日本に帰化した中国人だった人がいると何かで読んだ覚えがあるのだが、思い出せない。ご存じの方があれば、是非教えていただきたいと思う。  豊臣秀吉の朝鮮攻めの際、有名な薩摩の陶工はじめ、朝鮮側の捕虜が多数、日本に拉致され、和平後も帰国できなかった、あるいはしなかった人の話は有名であるが、儒学者・朱舜水や隠元禅師はじめ明末清初の混乱の中で来日し、そのまま帰化した中国人も結構いるようである。  実際、いわゆる鎖国の行われる前は、中国人などはかなり自由に日本に... ...続きを見る

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2007/01/31 20:08
『通俗近代三国史演義』の構想
 周知の通り、中国には正史の伝統があり、新王朝が先の王朝の正史を編纂するものとされた。有名な『三国志』は三国の分裂状態を暫時統一した晋の陳寿が著したものであり、「倭人伝」で有名な「魏志」「蜀志」「呉志」の三志から構成されている。  ちなみに、蒙古族の征服王朝である元は、前代の宋・遼・金三国の歴史を編纂し、それぞれ『宋史』『遼史』『金史』として皆、正史の一つとして数えられている。  しかし、考えようによっては、この三王朝の歴史を『新三国志』とでも名付けて、「宋志」「遼志」「金志」として編纂して... ...続きを見る

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2007/01/30 18:27
いわゆる「高句麗論争」について
 もう一昨年の話になるが、いわゆる「高句麗論争」が起こり、高句麗を中国領内の国家と記述する中国歴史書などに韓国側の一部論者が反論したことがあった。もっとも、「論争」と言っても、韓国側一部論者の「一人相撲」であったような印象を否めないのであるが、実際、これといって中国側から韓国側に再反論があったような記憶は筆者にはない。  ここで、筆者自身の考えを述べさせてもらえば、最盛期の高句麗というのは、現在の国境を越えて中国東北部、朝鮮半島北部を領域としており、現在の中国、韓国・朝鮮にまたがっていた国であ... ...続きを見る

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2007/01/29 18:04
ハンニバルの象はどこから連れてきたのか?
 カルタゴの将軍ハンニバルは、イベリア半島を制圧した後、5万の軍隊と37頭の象を連れてアルプスを越え、イタリア半島に攻め込み(第2次ポエニ戦争)、一時はカンネーの戦いでローマ軍を大敗させるなど、ローマを危地に陥らせた。  問題は、このハンニバル軍の象が一体どこから連れてこられたかということで、この疑問は、古くはフランスのパスカル(だったと思うが)、その『パンセ』の中で提出しているという。  現在は砂漠化している北アフリカ、サハラ砂漠も大昔は緑の平原だったというが、ハンニバルの時代には、まだ北... ...続きを見る

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2007/01/27 11:33
熊野誓詞の起請文
 24日付の『毎日新聞』のコラムに面白い記事が載っていた。以下、引用してみる。 「古くから起請文に使われた熊野三山の護符、牛王宝印はカラスの形をした文字が描かれており、烏は熊野の神と人の間の使いとされていたという。破っても烏が死ぬだけと江戸の遊女が気軽に乱発できた起請文も、鎌倉時代や室町時代には神仏への厳粛な誓約とされ、それを書くことは『身の毛もよだつ』体験だったと言われる。むろん破れば当人が無間地獄に落ちるという神罰仏罰が、まじめに信じられたのはいうまでもない。」  引用が長くなったが、こ... ...続きを見る

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2007/01/25 19:58
兄妹始祖神話
 兄妹始祖神話として有名なのは、中国の伏羲と女?の神話である。伏羲と女?は漢代以降の画像石によく登場し、夫婦として描かれることが多いというが、その際には人頭蛇身で描かれることはあっても、兄妹としては描かれない。一方、伏羲と女?を別個の神として描く神話もあり、特に女?が泥土をこねて人を造ったいう神話は有名である。  一方、中国の少数民族、ミャオ族、ヤオ族の神話では、二人は実の兄妹であり、大洪水のため全ての人々が息絶えたが、大きな瓢箪の中に入っていた二人だけが助かり、後に結婚して夫婦となり、人類再... ...続きを見る

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2007/01/24 21:39
猿が人間になったという神話
 中国のチベット高原や雲貴高原に住むチベット族、イ族、ワー族、リス族などの少数民族には、猿が人になったという神話が広く伝わっているという。  チベットのツェダンは伝説ではチベット族発祥の地とされているが、「ツェダン」とはチベット語で「猿の遊ぶ平原」を意味し、チベット族には早くから猿が人に変わったという神話が流布していたという。  また、雲南省楚雄のイ族の『創世詩』には、猿が石を道具として使うことを覚え、石を打ち合わして火を起こし、食べ物を調理するようになり、最後に「猿が人になった」という一節... ...続きを見る

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2007/01/23 21:29
子欲居的列島社会史論
 本日、本ページの方にアップしました。是非ご閲覧ください。 http://www.eonet.ne.jp/~shiyokkyo/ronbun/retto.html ...続きを見る

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2007/01/21 09:07
「百年後の知己を待つ」 ある海軍軍人の生涯
 浅学ながら、水野広徳のような興味深い海軍軍人がいたことを初めて知った。戦前、はやった「日米架空戦記」の作者の一人ぐらいにしか最初思っていなかったのだが、彼は深い思想と反骨精神の持ち主のようである。  日露戦争の勇士が、第1次大戦下や戦後の欧州諸国を私費で視察した後、一転反戦平和論者に転換。東京大空襲なども予想した著書は発禁処分の憂き目を見たという。  筆者があれこれ言うよりも、取りあえず次のウィキペディアの記事を参照されたい。   http://ja.wikipedia.org/wiki... ...続きを見る

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2007/01/15 20:16
列島「中世」史論の構想
 「中世日本に統一的な国家が存在したのかという」「ことが議論になる」ほど、中世日本における「国家公権」が弱かったと言うことは、まさしく劉公嗣氏の指摘の通りだと思う。  ここで、便宜的に筆者は「中世」という用語を使用したが、これはあくまで世間通用の便を図ってであり、始まりはともかく、筆者は、その終末においては、通説に対して異論を持っている。多くの論者は、織豊政権の成立を持って「近世」の始まりとしているようだが、筆者は「応仁の乱」、つまり戦国時代の始まりをもって、「中世」の終末としたいのである。 ... ...続きを見る

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2007/01/14 17:28
ブログの学術的方針について
 劉公嗣氏が色々とレスを付けてくれているので、私も「腕ならし」に予定を変更して、しばらく列島社会史論に手を染めてみようと思う。まず、この方面に進むに当たっては、二つの問題がある。  一つは、私がほとんど、この方面で6年以上前の知識を保有していないということであり、私の方法としては、網野善彦『日本の歴史をよみなおす』を精読し、それを手がかりに列島社会史に対する自分の認識を形成し、後を色々な参考書で「肉付け」していくというものであるが、今回は、全く私の記憶だけで、「論」を進めていくことになる。ただ... ...続きを見る

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2007/01/14 16:52
奴隷制の問題2 劉公嗣氏のトラックバックに関連して
 現代日本のある「業界」では、歴史的に見て非常に古い習慣が残存していると言う。それも、いわゆる伝統的業界の「封建的」(前近代的、江戸時代的)体質よりもまだ一段階古い体質が残っているという。  例えば、復讐を誓う際の「骨かみ」の習慣。「一宿一飯の恩義」=中世では、饑饉が日常茶飯であり、これを受けたものは、その恩義を受けた人の奴隷にされたり、奴隷として売られても文句は言えなかったという話を何かで読んだことがある。  現代日本の上記「業界」でも、伝統的業界の「封建的」主従関係どころではなく、構成員... ...続きを見る

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2007/01/13 15:29
人間はいつ頃から衣服をまといだしたのか?
 3学期最初の教材は、北山晴一『衣服という社会』(第一学習社『高等学校現代文』所収)である。ちなみに、北山は「フランス文学者・社会学者」と言うが、実は初っぱなから、私は北山に同意できないのである。  「人間はなぜ服を着るのか。」と北山は問いかけ、「寒さを防ぐためだとか、肉体を隠すため」だけではないと言い、題名の通り、衣服の持つ社会性を強調するのだが、北山がはなから否定した「肉体を隠すため」というのは、衣服が持つ社会性の第一であると筆者は考えるのである。  よく、歴史の教科書などに載っている原... ...続きを見る

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2007/01/11 22:29
奴隷制の問題
 内藤湖南は『応仁の乱について』という論文の中で、「昔、ごく古くは氏族制度でありましたが、その時分には地方の神主のようなものが多数ありまして、それらが土地人民を持っていた」と書いているが、「地方の神主」=氏族の首長のようなものが、当初、氏族成員に指揮権を持っていたことは間違いないだろう。  原始段階、首長と言っても、徳望のあるものが選ばれ、余剰財の出ない生産力の低い時代には、彼が特に一般成員と変わった生活をしていたわけでもないだろう。  しかし、やがて生産の発展と共に、社会的余剰が生じると、... ...続きを見る

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2007/01/10 00:27
夏・商・周の勢力圏
 いわゆる夏・商・周の「三代」の実態というのが、後世の秦漢帝国のような中央集権国家ではないことは分かっていたが、それでも後の秦漢ほどではないが、中央部の結構な領域を支配しているものというイメージが強かった。  後のような中央集権の官僚制国家でなくても、多くの小国を配下にしたがえる古代の「国」際連合の盟主というのが筆者のイメージであった。しかし、実際には、長江流域、四川領域のような「敵対」勢力の存在を考えると、「国」際連合というよりも、連合「国」の盟主ぐらいの存在だろうと思うようになっていた。 ... ...続きを見る

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2007/01/07 18:20

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